青春シャウト

これぞ青春の叫びだ!

 長い橋を渡っていく原付オートバイ。2ストロークのかん高い排気音が真っ青な空高くのぼっていく。振り仰ぐと、いわし雲。全開全力で力走している排気音だが、速度が遅いのでなかなか橋を渡りきれずに、いつまでも尾をひいている。まるでそうすることによって世界が手に入ると信じこんでいるかのように一途に伏せた背中。風に引き裂かれそうにはためく、うすっぺらいジャンパーが、やっと橋の向こう岸に消えた。
 2004年の秋のその午後、江戸川の橋のたもとの土手に自転車を止めて休んでいた僕は、憑き物が落ちたように、すうっと目を見開いた。

 これぞ青春のシャウトだ。

 15年前の自転車を引っぱりだし、あちこちを直したり新しいパーツを入れたりして乗りはじめてから半年。青春シャウトのはずだった自転車が、じつは乗れば乗るほど、じじ臭くなっていくことに気がつきはじめていた。気温、気圧、高度まで計測できるサイクルコンピューターとカラー液晶のGPSで武装され、自動車の新車が買えるほどの自転車になり、高度なアミノ酸管理を行ないつつ100km、200kmを平然と走る。

 Oiそれって、めちゃめちゃ健康ブームのOYAJIアスリートじゃん。金をかけた欧米ブランドのチャリ、成金と笑われないようトレーニングマシンで鍛練、そこそこ走れるようになったらレースなんかで腕試し、気合が入って、またトレーニングとチャリ投資・・なんて、完全なるオッサン。

 だから、あのかん高い原付バイクのエギゾーストノートは鋭く俺の胸に突き刺さったんだ。

「だからって、いきなり買っちゃったの?」
 納車されたばかりの原付バイクを見て、妻が言った。赤と白のヤマハ。TZR50という2ストロークの心臓を持ったレーシングタイプのバイクで、20歳の僕がはじめて買ったのとほとんど同じものだ。
 もちろん、後先考えずにやっちゃうのが青春シャウトだ。あのころだってそうだった。所持金五百円。免許もなかった。それでも、感化され、いきなり買ってきた。それが青春だった。俺の。
 あきれるぐらい無謀だった。So! 青春とは無謀さ。TZR50という原付バイク。これぞ青春という無謀のシンボル、汗ばむ鬱屈のシャウトだ。
 今や自転車はオトナ、オッサンの趣味だ。自転車チームにいくと、若者はみな小さくなっている。ママチャリに乗って「お前ら皆殺しにしてやるぜ」なんて気を吐く若衆を見たことがない。
 4車線の幹線道路の追越車線を60キロで突っ走ってクルマを抜いたり、頭にきたクルマのケツに延々とへばりついて走ったりはしても、そんなことを青春のときにやったか? 自転車に乗った若者がクルマを追っかけて走るか?! それらは交通と社会を知ったオッサンのやることで、無謀なんじゃなくて、中年の暴走にすぎない。

 シャウトな無謀とは何か?

 おそらく、このTZR50が35歳になろうとしている俺に何かヒントを与えてくれそうな気がする。今度、あの長い橋を渡るのは、こっちの番だ。