小田原で物件を決める

cippillo2005-07-17

 けっきょく前晩は夕食をとったあと、小田原にむけて出発した。クルマでははじめての夜間走行。
 無事に相模原JNファミリーに到着。
 広いプール風呂で数人の子どもにまみれてスイミングにうち興じていると、大のオトナが気持ちよさそうにふるちんで泳いでいる姿に勇気を鼓舞されたのか、わらわらとオトナたちがやって来ては泳ぎはじめ、いつのまにか一方通行ルールみたいな状態。子どもはみな退散し、一方通行でぐるぐる泳ぐオトナたちはみなふるちん。
 仮眠室ではいびきがすごくて眠れなかった。といっても、俺もいびきがすごいらしいんだけどね。翌朝は雨。相模原のチャリの友人といっしょに宮ケ瀬湖山岳コースを走るはずだったが、この朝はクルマでコース下見。
 このあと、ワイフの運転で小田原に移動。
 小田原では不動産屋に入り、3件目にまわった物件で決定。見るだけ見とくかと、もともとこちらの提示していた条件とぜんぜん違う物件だったので、あまりの豹変ぶりに驚く不動産屋。しかし目の前に太平洋が広がっていて、反対側には小田原城天守閣がそびえ、小田原市の誇るブランド小学校が目の前にあれば、迷う理由などあるだろうか?
 不動産屋の説明によると、この小学校は「三の丸小学校」といって、小田原城郭の内部、内堀に沿うように立地し、文学館や記念館に囲まれ、城郭の景観に溶けこむように設計されているそうだ。公立の小学校だが地元小田原学童およびその親たちの憧憬のまとであるという。(これは定食屋のおかみや、いろんな人に訊いてまわっても同じ回答だった。歩いていた警察官を呼びとめて職務質問してみたが、町としても空き巣がたまにある程度で治安はいい方だと思うと言っていた・・というか、目が俺のことをすごく疑い深げに見ていたが)
 シャチホコ門のような荘厳な校門の前には噴水があり、道をはさんで茶屋がある。堀にはスイレンの花が咲き、風に乗って妙なる合唱の歌声が聞こえてくる。これぞ文化の匂いである。文化だなあをワイフと連発しながら歩いて1分の物件にもどった。国道1号線と西湘バイパスにはさまれているので、閑静というわけにはいかない。折しも、西湘バイパスを50台ぐらいの暴走族が蛇行しながら通りかかった。爆音直撃に、きまりわるそうな顔の不動産屋が、
「たまには、こういうのもあるんですけどね」
 しかし俺は感動していた。海とオートバイ。これぞ青春の香りである。文化と青春の町、小田原。
 そういえば都市計画を生業にしている飲み友が言っていた。
「ヤンキーがいるかどうかっていうのはね、その町が豊かかどうかの重要な指標なんだ。小田原はヤンキーが元気でね、いい町ですよ」
 左隣はかまぼこ屋で俺は狂喜し、右隣はスペイン料理屋でワイフが異常に高揚する。割烹料亭も4軒先。客人を招いてもおおいに盛り上がりそうである。文化と青春、そしてうまい食い物に酒。全方位スキなし。
「もう他の不動産屋は、まわんなくていいよね?」
 とダメ押しを言うと、こちらの意図とは違って、これほどの物件は他ではないですよ、とありきたりのことを言うので、そうではなくて、もう、とっとと遊びたいから、決定でってことでいいよね、と説明する。一応、大家さんに確認をとってからと言う。
 賃貸ではあるが、じつはリフォーム前の物件で、こちらの要望もきいてくれるというので、四部屋あるのを、どかーんとぜんぶいっこの部屋にしちゃってよ、とか、駐車場区画も整理しなおすらしいので、
「オートバイ三台とクルマ一台分ね」
 とか、好き放題言っていただけに、このへんてこな住人を大家さんが承認するか自信がなくなってきたのだろう。
 再び、相模原にもどり、健康センター「万葉の湯」に投宿。
 不動産屋から携帯に電話がかかってきて、やはり一間ぶち抜きと、オートバイ3台とクルマの敷地内駐車スペース確保は難しいという。酔っていたせいもあったのか、そんなのは各論だからかまへんかまへんと言うと、ちょっと安心したのか、自慢げに、
「じつはオートバイ用に外の駐車場を探しておきましたので」
 と言いだしたから、いきなり激怒だ。オートバイが外なんて言語道断、屋根つきを所望している、これはぜったいにはずせない条件である、外に出すならクルマだ、チャリンコ4台は部屋の中だ、と余計なことまでわめいてしまい、完全に変態扱いである。これはもしかして大家さんにダメだしを倉ってしまうかもしれないと急に不安・弱気になった俺は、
「まあ、折れるところは折れますんで、じゃんじゃん進めちゃってください」
「ではまた後日連絡します」
 ということで、小田原移住計画の好調なるすべりだしであった。