必要物を捨てるということ

 今日は小学校で個人面談があった。
 三日連続で小学校に行っている。転校の書類を先生が用意してくれていた。
 学童では退所届けをもらった。ここでは保護者会の会長をやっているので、後任の選出など、いくつか動かなければならない。
 夕方、娘を迎えに行った帰りに、今住んでいるアパルトメントを管理している不動産屋に寄った。
 退去日に不動産の人立ち合いのもとで何か検分をやるらしい。電気・ガス・水道は自分で事前に止める手続きをするようにと言われた。忘れてはならない。電話、通信環境も仕事をする上で必須。
 とにかく引越日をかためないと、物事が前に進まない。移転先の方は不動産屋が休みで動きなし。
 家では娘と第一回目の撤収活動を行なった。
 娘はあちこちに貼られたシール類をはがし、俺は「必要物」を捨てまくった。わが家には不要物というものはもともとほとんどない。毎日が、夜逃げ臨戦体制だからである。夜逃げ時は撤収40分を目標とし、一家をあげて訓練も行っている。だから不要物はすでにないのである。あと減量できるとしたら必要物しかない。とにかくモノに囲まれて生きていると、必要物がやたら多くなる。
 たとえばフライパンが3つある。大きさが違ったり、微妙に用途が違ったりする。しかし根本的になぜ3つなければならないのか、という議論に至ることはない。そもそもなぜフライパンでなければならないのか。鍋と兼用するようなことはできないのか? こういった視点で必要物を捨てていくわけだが、ほんとうに必要ならまた買うだろう。一見無駄なことをしているように見えるが、このぐらいのことをしないとモノというのは減らない。
 北海道冒険旅行では、日常の延長として、何が必要なのかを明確にすることができるだろう。ワイフの同意はまだ得られていないが、俺としては、ほんとうにふとんというものが必要なのか疑問に思っている。日常生活において、山岳用の軽量シュラフで生活すれば、ふとんにカビが生えることもないし、干したり、しまったりも、じつに気楽である。シュラフでミイラの親子みたいに並んで寝るというのも、ちょっと不気味な光景ではあるけれども。