紋別の道産浜っ子ライダー

 携帯電話が鳴っている。何時だろう?
 いつの間にか雨は止んでいたが、路面は黒々と濡れ光っている。電話をかけてきたのは果たして紋別のライダーだった。待ち合わせ場所だけ決め、インプレッサを市街地にむけて走らせる。はじめての飲酒運転だ。しかし彼も取引先と酒を飲んで帰ってきたばかりだったようだ。パソコンにメールが入っていて、あわてて電話をくれたみたいだったが、じつに人騒がせで申し訳ないことをした。
 雨上がりのセイコーマートで煙草を吸っていると、爆音とともに赤いZX12Rがすべり込んできた。インディアンの羽根飾りをあしらったような伝説のKawasakiレーサー、スコット・ラッセルのヘルメット。ずいぶん昔から俺がほしかったやつだ。
「あれれ? サーフで来るって行ってなかった?」
「あー、やっぱバイクじゃないと失礼かなと思いまして」
 と、ちょっと変わった初対面のあいさつ。路面が濡れているのに、ハイパワーのZX12Rを酒パワーで操ってくるとは。彼は軽やかに、ちょっと失礼します、と言ってセイコーマートに入っていった。残されたZX12Rは鍵がつけっぱなし。いきなり親近感を感じた。俺もよく鍵をつけっぱなしにする。関東にいると、勝手に俺のキーを抜いて「イチハラさん、つけっぱなしでしたよ」と親切にも持ってきてくれるやつもいるぐらいだ。ZX12Rを見ていると、カウルの後端が溶けてマフラーに溶剤のようなものがたれていた。なんだろうとあれこれ角度を変えて見ながら考えていると、ワイルドターキー2本とラッキーストライク2箱を袋にさげて彼が店からもどってきた。
「やっぱラッパ飲み」
 と、彼はにかっと笑った。長身で、北海道の青年に多い白く端正な顔だち。物静かな雰囲気で、オートバイ乗りというよりはBMWのクーペが似合いそうな感じだ。
「これどうしたの?」
 12Rの溶けたテールをさして訊ねると、オロロンラインを290巡航中に排気熱が荷物に引火し、
「ええ、ほんとのカチカチ山でした」
 彼の家に着くと、いきなり巨大なサーフと5機のオートバイが待っていた。ひとり暮らしの一軒家で裏にも駐車スペースがある。ここに置いていない分も合わせると、オートバイは10台持っているという。
 玄関にはゴルフクラブ、映画のポスター、居間にはセッティング中のエンジンラジコンカー、スノボーの2位の写真と賞状、ヨットのマニュアル本。これで近々自転車もやろうと考えているというから、オホーツクに生まれ育った男はじつに趣味多彩だ。
 12Rカチカチ山事件の物証である引火荷物を披瀝してくれた彼は、カメラを向けるとバーボンラッパ飲みのスタイルでこたえてくれた。

「いま、バイク乗りの友だちが来ます」
「近くのひと?」
「いえ、群馬から今日北海道に上がったみたい」
 学生時代の友人だというが、ひさびさの再会をこうやって邪魔してしまったのではないかとさえ思わないほどにバーボンの酔いがまわってきた。玄関のチャイムが鳴り、あー疲れたと言って入ってきたのは、うら若い女性だった。こりゃ本格的に邪魔だったのではないかと気になったが、ふたりともじつに自然である。
 三人で酒宴をつづけているうちに、道産浜っ子ライダーの姿が消えていた。
「トイレで寝ちゃってるみたいですぅ」
「寝ちゃうのも困ったが、トイレがないのはもっと困るなあ」
「彼、仕事が忙しいみたいで、疲れてたみたい」
 うーん。やっぱ無理させちゃってたんだ。すまなんだなあ。
 さらに話を聞いていると、ほんとうは翌早朝からふたりで羅臼岳を登山しようということになっていたらしい。
「でも、いいんです。彼、バイクで転んで足を悪くしてたから、でもだいじょうぶだいじょうぶって簡単に言ってて、無理しない方がよかったし」
 羅臼岳は登山も半日がかりの山である。
 彼女は今、仕事を辞めてここに来ている。東京に出て働くか、群馬の親元を出るべきか考えているのだと言っていた。
 いつしか俺は大イビキをかいて寝入っていた。やはりなかなかのイビキをかいて眠っている道産浜っ子ライダーとならんで。夢うつつの中、俺は彼のイビキに深い親しみを感じた。娘に言わせると、俺のイビキは北海道に上陸してから度はずれにレベルアップしているらしい。

●走行:353km