告白しよう

 台風直撃だ。海辺の台風はすさまじい。狂喜乱舞する俺。
 気圧の低下が俺の脳波を乱す。乱れた俺の脳波は、しごくまっとうに正しい。嘘臭い左脳から解き放たれて躍動する。だから告白しよう。小田原に来て5日しかたっていないが。
 わが家にテレビをつけた。自分の家でテレビがつくのはおそらく10年ぶりぐらいだろう。7歳になるまでわが娘マドカは、テレビをみることも、友だちの家で遊ぶことも、たまごっちをすることも、自分の好きな髪形をすることも、何の自由もない異常な一家で過ごす運命に縛られてきた。気の毒なことである。
 カミングアウト1。俺は根底においては暴力父、暴力夫である。さいわいにもマドカは俺とちがってわりと性格がきちっとしているので、彼女に対して叱咤の鉄拳を乱発することはなかったが、人さまの子どもが傍若無人、傲岸不遜にふるまっているのを目撃すると、しばしば制裁をふるいたい衝動に駆られるときがある。暴力といっても、熱湯をかけたりとか煙草の火を押しつけるとかじゃなくて、げんこつ一筋だが。一度やったらオオゴトになった。親とかその仲間たちの方がうるさかったりするので、疲れた。次にやるときは、子どもではなく親の方から先にげんこつを食らわせておいた方がさわやかでいいかもしれないと思っている。
 ここで自分が間違っている可能性も考えた方がいいよなどという安易な発想に陥ると、団塊世代地獄に足を突っ込むことになる。オヤジというのはまず怖れられる存在であることが第一。あたりまえだ。それがなければオヤジなんている意味がない。怖くないオヤジの増殖がこの世をおかしくしている。頭の悪い俺にはそれぐらいのことしか分からないが、少なくともそれだけは直球ストライクだと思っている。
 で、なんでテレビなのかというと、これから娘は、7歳にして完全な自由を手にしていただこうと思ったわけだ。俺とワイフは今後もテレビ禁止だ。ワイフには悪いが俺と連れ添っている以上、つきあってもらう。ただ、娘には完全無欠なるチャンネル権を与える。ひとりでいるときは、好き勝手にしてよいと託宣しておいた。
「なんで?」
 当然、娘はいぶかる。生まれてからの習慣が急激に変わることのインパクトを想像してほしい。俺は答える。
「ここが小田原だからだ」
 彼女にとってみれば生まれ育った場所がとつぜん変わったこと以上の衝撃はない。論理が崩れていようが、小田原というキーワードは、今、あらゆる論理を凌駕するのである。どんなに気のきいた説明も、子どもの前では嘘くさくなる。俺はそれが嫌いだ。論理を無視してストレートに言えばいいのだ。小田原だからだ。
 といったところで、カミングアウト2。
 晩酌をはじめた。これまで旅のあいだをのぞいて、自分からひとり好きこのんで酒を飲んだことはない。ひとりで飲むのはフラれたときに決まっている。それ以外のことは酒に頼らずともやっていける。女のことだけは、酒なしにはどうもだめだ。それが、小田原に来てから好きこのんでひとり勝手に酒を飲んでいる。旧街道を歩いていても、気づけば片手にビール。今晩も台風が来たってことで、とりあえずワイン。小田原に来てから毎晩、ところかまわず晩酌である。
 ほんとうは今晩、松戸にむけて出発の予定だった。深夜の下道を走り、明日金曜日には松戸法務局、学童、不動産屋・・残務を片づける予定だった。それに先日のじゅうぶんにして過剰なる贖罪にもかかわらず、同日午後6時から高崎君があらためて送別会を主催してくれるというし、翌土曜日午後10時からは筑波サーキットで開催される12時間耐久チャリンコレースのスターティングチャリダーのオーダーもきている。
 しかし娘は38度の熱をだして寝ているし、なんだか台風も直撃。新幹線のすれ違いなみの轟音がこの建物を席巻している。出発は遅らせるしかないが、行くことにはかわりない。熱をだしているのに娘を連れて行くのかと難じるワイフに怒鳴りつけた。
「こちとら戦争なんだぜ。自分の仕事だけやってればいいビジネスマンは、自分の仕事やってればええの。子どもが熱だろうが脱腸だろが膀胱炎だろが、俺はやっぱ連れていくしかねんだわ。スタインベック。怒りのブドウ。分かる? インプレッサなんてまだ雨漏りしないしエンジン壊れないからいいよ。北海道で熱だしたらどうしてた? 走るしかないだろう? 行くしかないんだよ。それが気に入らないなら仕事やめて主婦になれやマジで」
 家のことは兼業主夫にまかせてください。ちょっと無茶やるかもしれませんが。