箱根駅伝でオッカケ走り

 よくいる。駅伝ランナーと並走して、うれしそうに歩道を走るやつ。
 沿道住人になった僕も、もちろんやってみた。
 マラソンのレーシングスピードは初体験である。時速20キロ。素晴らしいスピードだった。人をよけてちょっと減速したら、あとはもう遠ざかるばかりのランナーの背中。いくらスピードを上げてもリカバーはできなかった。わずか300m弱だったが、心臓が沸騰し、エンドルフィンが圧力弁を破って吹き出した。ゾクゾクした。彼らは、レッドゾーンぎりぎりでエンジンにムチくれるレーシングマシンたちだ。
 家にもどってテレビを観ると、トップを走っていたランナーが体調を崩して大減速していた。解説者は「まさかの大ブレーキ!」と叫んだ。
 「ギヤチェンジ」という言葉がマラソンで使われるようになったとき、まことしやかに「いまー、ギヤチェンジしましたー」「いや、まだですね」などと解説者が言うのを聞いて、ギヤってどこにあるんだ? と思ったが、このたびのブレーキには驚いた。ブレーキはないだろ、さすがに。エンジンがブローしたとか、オーバーヒートなら分かるが、ブレーキは。
 ランナーは意識が朦朧としているようで、何度も対向車線にはみだしそうになっていた。駅伝ランナーぐらいになっても、日ごろ、貧血に悩んでいる選手もいるとのことだった。ほとんど精神力だけで動いているのが分かった。
 たすきをつなぐ・・待ってくれている誰かのために人は強くなれる。まさにその光景だった。
 感化のセルモーターがきるるとまわりかけた。さっきのレーシングスピードの体温が残っていて、一触即発で僕もまた走りだしそうだ。人間の限界、レッドゾーンぎりぎりのオイルのにじみ。
 あわやというそのとき、顔の左半分がうわーんと唸った。頬骨の骨折によって骨相が変わった左半分の顔は神経がやられたせいもあって、いつもクールだ。他人の顔が左側にくっついているような感覚で、冷めてツッパっている皮膚。ジンメンソーみたいな不快さで僕を引き戻す。
 鏡に映すと左側の方は、頬骨が削がれて皮膚がややたるみぎみに、すうっと下に落ちている。見慣れない顔。
 頬に疲れたような縦皺(たてじわ)が影をつくっていて、ぎらぎらと頬骨が照り映えて気勢のある右側と比べて、ヤレ具合がなんともいえない。見ていると、へっぽこオヤジみたいで、ちょっと癒されてしまうのも事実である。
 誰かのために強くなれる・・世の中のほとんどの映画もドラマもこの原則のもとにつくられている。
 誰かのために強くなんてならなくていいから、弱虫のまんま好きなように自分の信じた通りに生きている方がいいというちょっと変わったメッセージを、じつに明瞭に発信した作品もあった。
 

「にげましょう。戦ってはだめ」
「なぜ? ぼくは、もう、じゅうぶんにげた。ようやく守らなければならない者ができたんだ」
 (中略)
「わたしたちがここにいるかぎり、ハウルは戦うわ。あの人は、弱虫がいいの」
徳間書店ハウルの動く城』原作ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

 
 左のへっぽこ顔は鏡の中でいつもため息まじりに、たいがいにしとけよ、と囁いているように見える。

ハウルの動く城 (徳間アニメ絵本 28)

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