トライアスロン大島〜エピローグ


 フィニッシュラインを通過、駆け寄る家族からロングタオルをかけられ、支えられながら松の木の根もとに崩れ落ちた。すぐ足を止めたら筋肉痛になるんだったと、軽くジョギングしようと思い直す。
 が、右膝はもうちょっとたりとも動かそうとすると激痛。歩こうにも、けんけんみたいになってしまうので、あきらめた。
 松の木の根もとで支給されたアミノサプリを飲んでいると、折り返し地点近くでトップ快走しながら手を振ってくれた人が笑顔で近づいてきた。この日優勝したアライさんという人で、彼もトライアスロン初出場とのこと。もとは世界的な大手食品メーカー陸上部の実業団選手だったそうだ。10キロのランタイムは32分台で、今大会ぶっちぎり。
 クツの選択のこととか、いろいろ話してくれたが、私はちょっと朦朧としていて断片的にしか覚えていない。そもそも彼がなぜ話しかけてくれたのか、よく分からなかったが、チャリの集団の中にいたのだろう。失礼な話だが、私はきっと、あの好青年がこの人だったのかな、と勝手に思っていた。
 ところがこのアライさんと入れ違いで、ひとりの青年が私の前に立って言った。
「僕のこと、分かります? あの、自転車でいっしょだった・・」
 この人があの好青年だった。彼は丁重に、「自転車のときは、ありがとうございました」と言った。
 礼を言われるようなことを何かしたのだろうかと考えたが、よく分からなかった。さっきのアライさんにしても、なぜ旧知のように初対面の私に接してくれたのかも分からなかったが、チャリで走っていたときに集団の中で何かしらの役割をわれ知らず果たしていたのかもしれない。あとで、好青年も4位入賞したことが分かって、うれしかった。
 そのあとも何人もやってきて、お礼を言われたり、あいさつを交わしたりした。
 私はあいかわらず立ち上がれないし、パンツは破れてるしで、松の木の根もとにくずおれたまま、クルマ椅子の黒幕代議士みたいな気分だった。
 家族が、あっちでおとーさんの噂している、と騒ぎだした。聞くと、今しがた仲間らしき数人が完走の興奮さめやらぬ様子でレースを振り返って会話している。
「おまえさー、金色のヘルメットに、笑いながら抜かれなかった?」
「抜かれた。笑ってた!」
 ワイフが言った。
「おとーさん、周回で帰ってくるごとに笑ってたよ」
 いつも笑って走っているから、すごく目立つそうだ。どんな派手な自転車やウェアーよりも、笑っている、ということが競技中はいちばん目を引くという貴重な報告。応援している人たちのあいだでも、かなりウケていたそうだ。
 ラン競技中のバナナについては、ただ単にだらだらしているようにしか見えなかった、と手厳しい講評。笑いというものは、速さや強さがベースにあってはじめて生きてくるものなのだと知った。
 ラン単体での順位はひどいもので、家族にも叱責された。自分では、10キロ走としては自己ベストのタイムだったので、よくも前半あんだけだらだらしていて後半で盛り返したなと、またもや自分で自分を褒めてあげたくなってしまうのだったが、順位で見ると確かにダメダメ感が漂っている。
「そういえばさ、応援席から、なにやってんのー!って怒鳴り声が聞こえたんだけど」私は言った。「結婚してから、なにやってんの、なんて言われたこと一度もないよな。なんか今日のレース、怒られッぱなし」
「熱入っちゃった」
 もともとワイフは勝負好きなのであった。競争の中に身を置くこと、そこで勝ち抜くことに、強い生き甲斐を感じる女であった。ダメな私といっしょになって、わが家からすべての競争が排除されたため、結婚10年、意外なところで彼女の気質の湧出が兆したわけである。
「わたしも、やる。トライアスロン」
 と宣言した彼女は、帰還後には連夜の走り込みを開始し、翌月、早くもトライアスロンのレースデビューをすることになる。
 プリンセスまで西湖のチャリレースに出るといいだした。前年、このレースに初出場して、ビリから2番目で泣きべそかいていたのに、自分から出たいというようになるとは。私のトライアスロン初挑戦が家族にこのようなムーブメントを起こすとは想像もしなかった。


 夜は大会主催のパーティーが役場の大講堂で行われた。(選手は無料、それ以外はひとり1500円)
 プリンセスが早く行きたいと騒ぐので、30分も前に行ったら、ボランティアの人たちがいっしょうけんめい準備をしていた。私たちを見て、
「開始までまだだけど、飲んじゃっていいから」
 と冷えたビールの入った桶を指さす。彼らも飲みながら準備しているのだったら手を伸ばしたいところだが、汗をかいて仕事している人の横で飲むわけにもいかず、しかし、なんともノリと気立てのいい人たちの島だなあと思った。
 ぞくぞくと運びこまれる食材。
「島のスウィーツだよ! わははは」
 と、娘に名物「くさや」を見せるお兄さん。
 パーティーでは、さすが鉄人の集い、大量の食材、ビール、酒を気持ちいいほどきれいに食い尽くしていた。
 9時前に宿に帰還。
 さて大島ナイト、夜のネオンに誘われて、と第2波の攻撃準備に入っていると、宿の女将に、
「奥さんと娘さんも疲れてるみたいだし、今日はやめときなさい」
「ちっちっち。ひとりで行くから。君たちは先に休んでて」
「こんな日ぐらいは、家族でいっしょにゆっくりしなさい」
 と女将に窘められたが、ここですごすご引き下がってはダメ男がすたるってもんだ。
「どんな店がいいの? カラオケ? スナックでいいの?」
「カラオケいいね。女の子のいる店」
「1軒あるけど、高いわよ」
 酔ってすっかり気が大きくなっている私は、えけけ、ええけんええけん、と手をひらひらさせる。
「1万円で、って言っとくから。それ以上、飲んだらだめよ」
 女将は、あきらめ顔で受話器をとり、クラブのママと交渉。おそるべし大島、紹介ばかりか値段交渉までやってくれるとは!
 ちょうど三原山をチャリで登坂してきたという二人組がへろへろで帰ってきたところを、
「どう? 大島ナイツ。ひとり1万円でいいよ!」
 と、すでにポン引きみたいになっている私。彼らはちょっと考えていたが、今晩は疲れたのでやめときます、とのこと。ちぇっ、ちぇっ。
 トイレに行って気合を入れ直してもどってくると、すでに玄関前に送迎車が来ている。すごいぞ、大島!
 しらける家族を尻目に、クルマに乗りこむ。品川ナンバーだぜよ。運転しているのは、そのクラブのママ。クルマで行くほどでもなくて、ほど近く港をのぞむちょっと小高い吹きさらしに、郷愁誘う手づくりふうのイルミネーション。いい吹きさらしぶり、いい場末っぷり! もう完全にわくわくしてしまいました。
 店内に入ると、地元の若い男2人組がカウンターに、社長っぽい一団が奥のテーブルに。後で聞いたのだが、カウンター席とテーブル席とでは厳格に価格づけが違うそうである。カウンター席の若者もノリがよく、私のことを「テツジン」と呼び、テツジンはあっちも強いのか、と訊かれたので、あっちも弱い、と答え、やっぱでかいのか? と訊かれたので、でかくはないが小さくもないと思う、と答えた。
 こんなふうに、まずはゆっくり島の人々のカラオケの嗜好をリサーチ。「神田川」を歌えばどこでもウケるかというと、もうぜんぜんそんなことはなくて、じゃあ「津軽海峡冬景色」は? それも津軽ではウケるかもしれないが、じゃあ「氷雨」ならと無難かと思いきや、思いっきりしらけることもあり、こればかりは地域によって最大公約数的なパワー歌というものは、ほんとに違う。
 デュエット御三家は? ロンチャ、イマダキ、アイウマ。これはだいたい各地共通なのがふつうだが、大島では違った。2曲は同じだったが、イマダキのかわりに、何か別の歌(忘れてしまった。歌ったはずだけど)だった。



 この日、歌の相方を務めてくれたのは、I美嬢。島生れ島育ち。
 彼女の話では、港の切符売り場のお姉さんが島では評判の美女らしくて、それはそれで帰りに見てみようと思いつつ、私が見た中では港の売店のお姉さんがきれいだったと言うと、
「へえー、だれだろ。売店のお姉さん? たぶん知ってると思うけど、今度見てこよう」
 と、こんな調子でじつに狭くて愉快な世界である。しかしやはり息苦しくなることはあるようである。営業上のルールなど、厳格に守っている。そうしないと、島では生きていけないそうである。
 島の女がどこか気品があるのは、古来、この島が流刑の地で、スキャンダルで葬られた公家や武家の姫や花魁たちが多く流れ着き、その血筋を引いているからではないかとの私のキャバクラ的思い着きを披瀝し、つまり君は高貴な血なのだと決めつけ、ひとり悦にいるのであった。
 それから千葉から島に来て住み着いているというおもしろい女がいるとI美嬢に聞いて、紹介してもらった。
 店で働いて1年になるという篠原涼子似の彼女の生き甲斐は旅行。旅行がしたくて、旅行の資金を貯めるために、たまたま旅行で来た大島に住み着いてしまったのだという。なぜ大島?
「ホント、お金貯まりますよー! 遊ぶとこないし」
 いろいろな人がいるものである。
「やっぱ京都は最高ですよ。京都ですよ、京都」
 大島に来て、京都の良さを力説されるとは思わなかった。日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
 午前零時、撤収。
 毎年この日にやって来るというトライアスロンの常連客たちは、けっきょく来なかった。大会自体も徐々に人数が少なくなっているという。島のたいせつな観光資源を守っていきたい、島で金を落とすことが肝要である! と気合で会計を済ませ、外へ。
「道、分かりますかあ?」
「だいじょびだいじょび」
 と言って歩きだしたはいいが、いつのまにか迷ってしまった。
 うーん、これは困った。迷うような場所じゃないんだけど、右足が動かないんです。酔っぱらっているから痛みはあんまり感じないけど。これって、酒飲んでだいじょうぶだったのかな。焼酎1本、あけてしまった。
「イチハラさーん、宿はあっちですよ!」
 と、後ろから声。ちょうど帰りがけのI美嬢が歩いてきた。
「は、早いね」
「島、厳しいですから」
 と笑うI美嬢のさわやかな残像。どうにか宿に帰り着いた。
 スリッパがひとそろえ、玄関で静かに私を待っていた。


 翌朝、まかないのおばちゃんに、
「旦那さん、昨晩はスッキリしたかい?」
「へえ、スッキリしました」
 宿の従業員のあいだで早くも笑い話にされてしまったらしい。女将は、
「ちゃんと値段通りにやってくれた?」
「へえ、おかげさんで」
 って、ホントはちょっと調子にのってプラス分を出したんだけど、恥ずかしいので、それは内緒にしておいた。
 今日の予定を訊かれ、レンタカーでも借りて島をまわってみるつもりだと言うと、女将が電話でまたいろいろ手配してくれて、9時には玄関前に希望のクルマが来ていた。土砂降りだったので、じつにありがたかった。
 三原山を上る。日曜なのに雨のせいか、大島随一の名所、三原山へのドライブウェイはひとっこひとりいない。すれ違うクルマもいない。頂上近くになって、雨の中、ランニングしている男がいた。
「あ、あの人、二位の人だ!」ワイフが言った。
 元町の宿からだと、往復30キロ程度はあろうか。今朝は何時に出たのだろう?
 レンタカーは頂上の駐車場に着いた。雨ばかりか霧も強くなっていた。ちょうどそのとき、頂上登山口バス停の標識のところを、くるりとターンするランニングの男がいた。
「アライさんだ!」と、プリンセス。
 なぜかとっさにバックしてクルマごと物陰に隠れようとする私。誰もいない駐車場で隠れられるわけもなく、おまけに娘が、アライさーん、と手を振るものだから、あっさり発見された。
 私はなぜだかハンドルを握っている自分が恥ずかしく思った。この姿を見られたくないと思っていた。
「なあ、おかあさん。ぼくはもっと強くなる。それに、雨の中を自分の足で走るのって、なんか楽しそうじゃないか?」
「わたしも、ちょうど今、そう思ってた」
「今度は伊豆七島をランニングで制覇しない? ほとんど手ぶらで行けるぞ。どこでも行ける!」
 かくして市原家のランニング・ファミリ・バトルツアーという新たなコンセプトが生まれた。
 2006年は、まだまだ想像もしない方向へと走りつつあるようだ。
 そうそう。帰りがけに見た。港の切符売場の女。きれいだけどツンとした感じ。きっと彼女は花魁の方の血統?
(おわり)