ソーメン小豆島スタイル

 一年に一回、娘の夏休みに家族で十日程度の不自由旅行をすることにしている。
 クルマにテントや最低限の生活道具を積み、簡単には帰れないぐらい遠くの地で寝泊まりする。レジャーのアウトドアと異なるのは、面倒くさがりなわが一家のメンバーにとって、野外での寝食はけっしてレジャーなどではなく、苦行に近い。簡単には帰れない場所でやるのも、ともすると逃げだしてすぐに家に帰りたくなってしまうからだ。
 晴れたら晴れたで強い日ざしがうらめしくなるし、雨の中のテント生活は悲惨だ。洗濯だってチャンスを見つけなければできないし、乾かすのも一苦労。食材を買いに行くのも山を越えていかなければならなかったり、慣れない小さな器具を使って、ヤブ蚊やハエ、アブたちと格闘しながらの調理はしんどい。最初のころこそ薪や炭を使おうとしていたが、そのうちカセットコンロに落ち着いてしまう。何をやるにも時間がかかり、ただ食べて寝て生きていくだけで一日が終わってしまう。
 しかし十日間のうちに、知らず知らずのうちにメンバー各員の動きや段取りが洗練されていくのが分かる。家に帰ると、十日前とは違った日常が見えてくる。屋根がある、コンロがある、水道がある、洗濯機がある、そのひとつひとつがとてつもなく有りがたく思えてくるのだ。こうやって僕たち一家は、知らず知らずに溜まってくる生活の贅肉を削ぎ落とすことにしている。
 なかなか過酷な不自由旅行であるが、毎年夏になると、ちょっと楽しみでないこともないのは、とても強く脳裏に刻まれているものがあるからだろう。不自由生活のなかでとる飯の美味いこと!
 なかでも家族三人の投票でベストご飯を選ぶとしたら、満場一致で「ソーメン小豆島スタイル」の優勝にきまるはずだ。
 二〇〇六年夏。台所の流しの下のスペースで、古文書のようにホコリをかぶった木箱を見つけた。中味はソーメン。知らぬうちに二年も寝かせていたようだったが、奇跡的に黴びていなかったので、家族にはその出自は告げずに荷物の中にまぎれこませておいた。
 能登半島の先端近くの海辺の野営場でのこと。あまりの海の美しさに、うかつにも朝から泳ぎにうつつを抜かしてしまい、午後になって海からあがったときには買い出しに行く気力も残っていなかった。
「もうソーメンでいっか」
「賛成賛成。ソーメンあったんだ」
「つゆはないけどね、ほんとはつゆなんて二流なのよ。本場小豆島じゃ、みんなソーメンにちょちょっと醤油をたらしたのを、つるつる〜って飲み込むんだ。これが粋なんだね」
 と、これは単にソーメンの木箱に「小豆島産」と書いてあったのを見て思いついただけの、完全な口からの出まかせなのであるが、家族は案外大喜び。ソーメンにしても出所が出所なこともあって、やや微妙な心境であったが、ともあれソーメンを茹でる準備をはじめた。
 小さなキャンプ用ストーブ一基とカセットコンロのふたつをリレーで湯を沸かし、2束ずつ茹でた。ザルがないことに気づき、茹で上がった鍋を持って自転車で炊事場まで行っては、鍋ごと流水で冷まし、また自転車でもどってくる。家族に大歓声で迎えられた。
「すごい!」
「おいしい!!」
「ほら、かけすぎだ。こうやって、ちょんちょん、ってね。これぞ小豆島」
 家族は完全に信じきって、この醤油ちょんちょんのガセネタ小豆島風を質素なキャンプ用フォークで、じつにうまそうに食べている。ゆっくりしている間もなく、次のソーメンが茹で上がる。小さな鍋のリレーなので忙しい。
 ふたたび自転車で炊事場からもどってくると、腹をすかせて待つ家族から、またも大歓声で迎えられる。父親冥利に尽きる瞬間だなあと感慨に耽る間もなく、次の鍋を持ってまた炊事場まで自転車を走らせる。
 もどってくるわずかなあいまに、家族が用意してくれた醤油をたらしただけの粋なソーメンをひとのみにし、もぐもぐしながら、また自転車を走らせるのだった。
 能登の旅を終えて家に帰ってきたあとも、青い海と白い砂に輝いた家族の歓声がまざまざと蘇ってくるようで、僕はときどきひとりでソーメンを食った。あの小豆島スタイルで。