不眠バトルツアー59時間の大阪

「浪人のとき、代ゼミ付属の浪人クリニックに不眠症だとかいって、かかってたの、おまえだった?」
 自宅から550キロ離れた関西の甲子園口の夜。居酒屋で僕はアリタに訊いた。20年近く前、予備校の昼休みか何かにクリニックに付き添いで行った。眠れないなら、ラッキーじゃないか。少なくとも受験生には、眠り病よりは不眠症の方がいい・・そのとき、そう思ったのを覚えている。
「確かに。そんなことあったかな」
「今は? 不眠症」
「まったく問題ない」
 あのとき、不眠症を笑ったことを詫びた。眠れないということが、こんなにもつらいことだったと、はじめて知った。そのとき、不眠52時間目に入っていた。
 発端は風邪である。1週間、ほぼ眠り病だった。朝起きても、また昼まで眠った。デスクにいても、床(ゆか)の上でもどこでも睡眠誘発ホルモンに支配された。
 最後に眠ったのは木曜日の午前11時までである。それから突如、不眠になった。徹夜して朝を迎え、そのまま金曜日夕方の大阪遠征出発を迎えた。
 運転をワイフに頼んだ。後部席で眠るつもりが、静岡まで来ても一睡もできなかった。眠れないなら眠くなるまで運転すればいい。そう割り切って、運転を交替した。
 ワイフが熱をだした。風邪がうつったようだ。後部席でこんこんと眠りつづけるワイフと娘。
 名古屋を越え、深夜の伊勢湾岸道路、東名阪道から名阪国道へ。
 走っていればそのうち眠くなるだろうと思っていたが、そうならないまま雨のそぼ降る早朝の大阪に着いた。
 コンビニで酒を買い、どこかクルマを停めてゆっくりできる場所を探して淀川周辺の中心街を20キロほど走りまわった。が、釣りをしながら酒を飲めそうな場所はなかった。ワイフと娘は眠りつづけている。
 時間は早かったが、大阪駅近くのパーキングにクルマを入れ、車内で酒を飲みながら、くだらないアクション映画を観た。けっきょく通して観てしまった。
 午前10時45分。授賞式開始の直前15分前になって、眠気に襲われ意識が消えた。
「ごめん、寝る」
 僕だけ式は不参加とし、車中に残った。が、式開始の時間が過ぎると、なぜかまた目がさえて映画を観た。
 正午をまわり、式と映画が終わると、不眠時間は50時間を越えていた。
 雨は降りつづいていた。千里の親戚の家に寄り、暗くなってから、アリタと待ち合わせの甲子園口にむけて移動。車中後部席、疲労極限の泥の底に朦朧としながらも、やっぱり眠れなかった。
 午後9時にアリタと別れ、近くの24時間健康センターである「あま湯」へ。風呂に入っても眠れなかった。家族全員風邪っぴきになってしまったし、おまけに雨も降りつづいている。午後10時半。小田原に帰ることに決めた。
 京滋バイパスを過ぎて、滋賀県に入ったところで記憶は途絶えた。
 59時間目にやっと、眠りについた。
 日曜の午前9時半。小田原着。ほぼ日中、眠りつづけた。