新鍛練開始。芥川賞トレ

 アイヤーンマンが終わり、トライアスロン隠居になってからも、あまり変わらず走ったり泳いだりしているが、意識の上では明確に違うものがある。「鍛練」ではなくて「息抜き」とか「趣味」の位置づけになっている。
 鍛練だったときは、ノルマみたいな感覚もあったし、数値的な目標もあったかもしれない。きちんとこなしていくことが大事だったし、故障を何より怖れていたので、意外に節度ある内容であった。
 これが、今や趣味でやっているので、後先考えずに、好き放題にむちゃくちゃをやってしまって、かえってハードだったりする。でも費やす時間は、新しくはじめた鍛練に奪われつつある。新鍛練は「芥川賞トレ」。
 なぜ芥川賞なのかというと、アイアンマンとまったく同じ理由である。「ストロングマン」でも「アストロマン」でもなく「アイアンマン」が、僕にとってはイメージ的絶対価値をもっていたように。若いときに受けた「すりこみ」に支配されているだけなので、特に意味はない。
 だから芥川賞で人生が変わるとは、37歳となった今さら思うこともないが、アイアンマンと同じで、ずっと昔からやってみたかったことでありながら、若いときに一度は挫折したことなので、もう一回、納得いくまでちゃんとアタってみるにはいい頃合いだと思っている。
 とはいっても、やることは、読む、書く、これだけ。シンプルなだけに鍛練らしい。
 トライアスロンもそうだったが、走る、泳ぐ、だけの究極のシンプルさの中に、じつはいろいろな情報やテクニックがあり、それを流行させ流通させる雑誌や権威者がいる。徹底した我流は結果的に無駄も多かったとは思うが、得るものも多かったと思っている。文学においても同じスタイルをやることになるだろう。遠まわり、あるいは、まるっきりマトはずれになる可能性もあるが、若かったときのように先の長い人生と世界と未来を背負っているわけではないので、結果はさほど怖れることではない。
 人生も後半なので、読む方は適当に読むこと。でないと読むだけで人生が終わってしまう。本気で読みだすと、あれも読まなければこれも読まなければ、となって、しまいには絶望して死にたくなる。途中放棄推奨、積ん読推奨。質より量、というよりアタック数重視。
 後半の人生なので、書く方は手を抜かずやること。題材に関しては、経験や蘊蓄(うんちく)を深めるといっても、今さらやれることはたかが知れている。ありきたりの日常しか書けないので、瑣事(さじ)を煌めかせる魔法の砂のような文体を獲得するための研鑽が主眼となるであろう。量より質。
 6月から小田原でもインターネットでの貸し出し予約ができるようになっていた。何点か試しに予約。
 受け取りに小田原図書館にひさびさに行ったら、エントランスの展示コーナーで芥川賞特集をやっていた。
 第1回からの芥川賞受賞者全リスト。小田原からひとり芥川賞受賞者が出たのを知った。昭和12年、第五回芥川賞の尾崎さん。ちょうど太宰治なんかがライバルの、すごい時代である。


暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇 (岩波文庫)

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