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『ハリガネムシ』 吉村萬壱

 木村氏が抱え持っている黒く汚れたサチコの小さな足裏を見た時、こいつは子どもとの別れを悲しんでいるのではなく自分の非力に絶望しているのだと分かった。健一と健二は口を開けて放心していた。『グレートハンティング』という映画で、ライオンに食われる父親を見ていた子どもの顔と同じだった。サチコは尚も暴れて、ついには股間からピュッ、ビュッと液を噴き出し始めた。失禁だった。ナマコのような奴だと思った。実に滅茶苦茶で子どもじみている。


第129回芥川賞受賞作。作者は養護学校勤務。全編を性と暴力が覆うが、彼の手にかかると、なぜか滑稽味が漂い、バイオレンス小説でもナンセンス小説でもなく、文学なんだなあ、となる。ぬらぬらと尾を引く後味があるが、なぜか不快ではない。タイトルともなっている次の文に凝縮されている。

アパートに戻りコップの中のカマキリを窓から捨てようとした時、ふと思い付いて新聞紙の上に出してみた。頭を指でピッピッと弾くと、鎌を振り上げてキッとこちらを見て怒る。細かく角度を変える三角形の顔、どこを見ているのか分からない真っ黒の目玉を見ているともっと何かしたくなって、力を込めて指で弾くと頭がちぎれて無くなってしまった。飛んでいった頭の落ちる音が、本棚の裏から聞こえた。首なしの部分から細い糸を垂らしながら、カマキリは盛んに鎌を振り上げて頭を探すダンスを踊った。仕方なく新聞紙で掴んで握り潰すと、尻から真っ黒いハリガネムシが悶え出てきたので仰天した。新聞にペタペタと体を打ちつけながら、女の髪のような光沢を放っている。英語でこの虫をヘアーワームということを思い出し、それが妙に生々しくて全身が総毛立った。慌てて丸めてビニル袋に入れ、蓋付きのゴミ箱に押し込んだ。


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ハリガネムシ (文春文庫)

ハリガネムシ (文春文庫)