『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周

源泉がゴボゴボ噴き出している音を聞くたびに、カザマは死んだ祖父が口にはめていた人工呼吸器の音を思い出したものだが、それすら慣れてしまった。
藤沢周ブエノスアイレス午前零時』)


同作で芥川賞受賞。
藤沢周は現役作家男性作家のなかでは、もっとも好きな作家のひとり。
彼の作品群は、じつに発心集だと思う。扱っているのはふつうの日常なのに、その一文一文に油断がなく、だれない。
過去の記憶のフラッシュバックの記述が随所に出てくるが、その脈絡のなさがハードボイルドで、オブリガードで、いつも、まいったな、と思う。冒頭の引用しかり、下記の引用も。

 カザマは紺のアノラックを脱ぎながら、三世帯しか入っていないマンションの自分の部屋について思った。そのベランダに積もっている雪で、ふざけて作った小さな雪ダルマだ。氷の代わりにグラスの中に新雪を入れてウイスキーを注いだ時に作った。まったく意味はない。ベランダの柵の上の雪を払って、そこに載せたが、また雪を被って形を変える。何故、そんなことを今思い出すのか自分でも分からなかった。
 ベランダに半年もぶら下がっている片方だけの黒の靴下が頭の中を過って、カザマはロッカーのドアを閉める。
藤沢周ブエノスアイレス午前零時』)


そして主人公には最後に発心が訪れる。禅的な発心である。
しかし、発心マニアからすると、多くの作において、発心のしかたがやや定型にはまっているのが残念だったが、「ブエノスアイレス」では発心の顕現のしかたが絶妙であった。こういう作はやはり題もいい。