佐和子とは一年以上付き合っていたのだが、彼女と一緒にいて居心地の良さを感じることは、結局最後までなかった。
彼女はいつも何かを追いかけていた。具体的に何を追いかけていたのかは知らないが、とにかくいつも次へ次へ、上へ上へと目を向けていた。
「俺がエンストした車だとしたら、彼女はブレーキが壊れた車だったんだよ」
そう説明してやると、
「止まらない車よりは、動かない車の方が安心できるわ」
と、閻魔ちゃんは笑っていた。
文学界新人賞受賞作。同時に芥川賞候補にもなる。
高級オカマ「閻魔ちゃん」と同棲している若い男の話。
回想シーンへの導入として頻繁に引用が使用されるが、引用される媒体はテクストではなく、ビデオの映像である。
男は、閻魔ちゃんの収入に頼って生きている自分の自信のなさに対して過敏になる。
ウェイターに無視された自分が、というよりも、ウェイターに無視された男を恋人に持っている閻魔ちゃんが、ひどく惨めな存在に思えた。
愛を確かめたくて悪さをする。
それとまったく同じ理由で、僕は頻繁に、閻魔ちゃんの財布から金を盗む。盗むといっても、レンタルビデオの延滞料程度のものだが、もちろん悪気はある。愛されようとするのは、救いようのない悪気だと思う。
田舎から家出をしてきた実母が男のもとを訪ねようとする。閻魔ちゃんと同棲していることは、もちろん言っていない。このどたばたの中で、今までの日常が位相をみせはじめ、それは閻魔ちゃんと男との関係にも及んでいく。