1年半ぶりの救急車

 夏の朝日をさえぎって真っ黒い巨大な円盤が、青い空を横切っていく。
 ああ、航空力学でかたちどられた自転車が空を飛んでいる、と考えている僕は、前転しつつ軽自動車のボンネットからフロントガラスの上を転がっている。自転車のディスクホイールが夢のように廻りながら、ゆっくり弧を描いて視界のむこうに墜落していくのを目で追った。しかし、先にアスファルト路面に墜落したのは自分の体の方だった。


     *



 レース1週間前だった。厚木で開催されるトライアスロン大会にエントリーしていた。さらに3週間後は手賀沼トライアスロン大会にも出ることになっている。
 いずれもパーフェクトな平地コースで、山岳(ヒルクライム)なし。小田原は山岳には恵まれているが、逆に平地練習できるいいサイクリングロードない。
 必要なときは、千葉県まで行って江戸川の長大なサイクリングロードを走る。が、今回は仕事や家庭がたてこんでいて千葉に行けなかった。
 最後の追い込み練習で、土日は早朝に国道1号線の小田原〜平塚間の往復40km。ゆるやかなアップダウンが延々と反復するが、近場としてはもっとも平地的なコースで信号と交通も少ない。コースの距離は短いが、レースの方は厚木が20km、手賀沼が40kmのショートディスタンスなので、かえって都合がいい。1時間以内に小田原〜平塚間を往復すれば、信号待ちロスなども含めて、時速42〜43kmでの巡航義務に、怠けがちな足を追い込むことができる。
 本番にむけての最終テストも兼ねて、サーベロP3カーボンにディスクホイールの決戦仕様を公道に投入した。こんな、人を殺すぐらいの気合の仕様で一般公道を走るのは危険きわまりないし、レース前最後の週末でもなければ、まず、やらなかっただろう。
 今回のレースは短距離なので高心拍、高負荷、ハイスピードの練習となる。土曜日の無酸素的な走り込みでは、この最終兵器の高速巡航性能の高さをひさびさに味わい、満足な結果を得た。
 日曜はさらにインターバル的に5km程度ごとのペースを上げてみようと思った。往路のアゲインスト(逆風)では失速の誘惑に堪え抜き、いよいよ復路のゆるやかな追い風。時速42キロで走るバスの後ろでしばらくおとなしく走っていたが、ひどく遅く感じた。アイアンマンレース以来、自分の中では不振がつづいていた自転車だったが、ひさびさに、いける、と思った。心に羽根が生えた。
 チャンスを見計らって、走っているバスを抜き去った。わずかな上り勾配だったが、二度とバスに追いつかれないようペースを上げつづけた。心拍も限界近くになる。
 信号が変わる前に駅前交差点をいっきに抜けよとしたら、対向側の軽自動車が右折した。
 わずかにカーブしている程度で、見通しのいい場所であったが、おそらくクルマの運転者が予測していたチャリの速度ではなかった。お互いにブレーキをかけたが、それがかえって徒となったかもしれない。
 まっすぐ僕の軌道上にクルマのフロントがあった。
 見てしまった。
 ちがうところを見ればいいのに、まっすぐフロントグリルに目が吸い込まれた。
 首に白いわっかをつけられて救急車で運ばれ、大学病院で3万5千円もする高額な検査を受けた。診断は、ただの打撲、だった。
「健康体ですねえ」と笑う医師の前に並べられた大量のレントゲン写真を見て、せめて何か他の病気でも見つかってくれたらありがたいのに、と、ちょっと気恥ずかしかった。
 体もだいじょうぶだったし、事故相手の運転手がとても気持ちのよい青年だったので、警察署に行って青年に行政処分がかからないように頼んでおいた。人身事故扱いになると免停になってしまうと警察官に言われたと青年が言っていた。被害者調書に、「処分を望まない」という希望項目をだしておいた。
「で、あなたは何キロだしてたの?」
 そう言った警察官が、調書の上でボールペンを休ませて顔を上げた。
「40キロ以上です」僕は正直に答えた。
 警察官はぽかあっと口を開けて僕の顔を見た。通常は自分の過失を少なくするために低い速度を言うのであろうが、損得よりチャリダーの誇り(見栄?)をとった。われながら阿呆だなあと思いながら。
 警察官は首を振って、まるで今言ったことが聞こえなかったかのように、こう言った。
「自転車なんだから、20キロでしょ」
「あれ(サーベロ)に限って20キロはありえないです」と、僕は断固として答えた。
「うーん、それだといろいろ合わなくなっちゃうんだよなあ」と、警察官は困った顔した。
「分かりますね。いいですか。もう一度訊きますよ。何キロですか?」
「40キロ」
「んー、じゃあ30キロね。30キロ」
 警察官はひとりで納得しながら調書に30キロと書き込んだ。
 ひとだんらくしたので、青年にジュースをおごってやり、警察署前で別れた。青年はクルマから最後にもう一度、すみませんでした、と言って頭を下げたので、反射的に僕は笑いながら手を振って「じゃあね〜」と言った。こういう状況で「じゃあね〜」はちょっと変だろうとも思ったが、かといって他にどういう態度をしたらいいのかも思い浮かばなかった。


     *


 さて自転車の方だが、フロントフォークが破断していた。前ホイールもだめだろう。自転車屋さんに持ち込むと、フォークが折れるほどの強い衝撃がかかると、フレームもだめなんだそうである。
 けっきょく前カーボンホイール、カーボンフォーク、カーボンフレーム交換の「全損扱い」になるとのことだった。
 正直言うと全損は困る事態だった。レースが1週間後なので、とにかくレースまでに走れる状態にしてほしかったのだ。
 そのことを自転車屋さんに頼んだら、やりとりを聞いていた他のお客さんが「ジャージがそんなボロボロになるぐらい体を打ってるんだから、レースはやめときなさいよ」と、なかばあきれ顔で心配してくれたが、
「こればっかりは仕事なんで、そういうわけにもいかなくって」
 と、ここでも見栄を張るチャリ馬鹿。
 これまで自転車は無事故でやってきたが、今回、初事故であった。公道の平地練習では、つい先日、競技自転車でインターハイにむけて練習中の高校生二名が死亡する事故があった。やっぱり公道での平地練習は危ないということを身をもって痛感した。ほんと、痛い。