手賀沼トライアスロン優勝!

 無名の県立・佐賀北高校が伝統的強豪高校を破って初優勝した今年の甲子園。全国の善男善女の魂を揺さぶるサプライズだった。
 そしてこの夏、もうひとつの佐賀にちなむ無名トライアスロンチームが、手賀沼湖畔の善男善女にサプライズをもたらした。
 8月26日、第2回手賀沼トライアスロン。「NKロケッツ! アイアンマン」が地元強豪トライアスロンチーム・オッティモを2位におさえてリレーの部で初優勝。
 NKロケッツは、一企業の自転車好きが集まっただけのチーム。社内勧誘だけでチーム員を構成している。
 佐賀出身のリーダーは水泳部の主将とかけもち。そんなことからトライアスロンをはじめたそうだ。

(手賀沼を泳ぐ! 仲間のスイムスタートを見守る図/撮影:やまひろさん:http://blogs.yahoo.co.jp/yamahiro0329
 最初はおさがりの中古自転車に乗って、そのうち仕事のあいまにみんなで自転車屋に自転車を見に行ったり、少しずつ機材をそろえてきた。
 僕とロケッツとの出会いは、4年前の夏、たまたま取引先担当者との飲み会で自転車の話になり、学生時代につくった自転車をいまだに持っていると言ったら、NKロケッツに入れてくれるというので、いちばん近くの自転車屋さんでボロボロの自転車をレストアしてもらった。この自転車屋さんが、セオサイクル新松戸店である。その後、自転車についてのほとんどをセオサイクル新松戸でおしえてもらったし、小田原に引越したあとも、ずっと自転車の面倒をみてもらっている。
 NKロケッツが、おそろいのショッキングピンクのチームジャージをつくったのが昨年。
 集団サイクリング中に仲間のひとりがクルマと正面衝突したことがあり、集団走行しているときに対向車から見えやすいようにと、ただそれだけの理由でショッキングピンクという色が決まった経緯がある。
 手賀沼トライアスロンに初参加したのも、例年、同日に開催されている筑波12時間耐久レースが夜間開催から日中開催に変更となり、「炎天下12時間も自転車乗るの、ムリだろ〜」といういたって軟弱な理由からであった。
 ロケッツからはリレー部門で4チーム、合計12名が手賀沼トライアスロンにのぞんだ。このうち「NKロケッツ・アイアンマン」として、今年いっしょにアイアンマンジャパンに出たナカガワ主将がランを担当。スイム担当が元平泳ぎスペシャリストのイマイくん、自転車担当が僕である。
 役割を果たすため、この一ヶ月はランやスイムの練習を犠牲にして、どっぷり自転車生活。機材面もセオサイクル新松戸のモリイ店長が、鏡面仕上げのバーテープで空力特性を上げるという緻密な計算と整備で、カンペキな自転車に仕上げてくれた。

(撮影:やまひろさん:http://blogs.yahoo.co.jp/yamahiro0329


     *


 レース前日は、午前零時から500缶ビール半ダースをあけてツール・ド・フランス2007を見て注魂。
 2時間の仮眠をはさんで手賀沼のコースを試走。正午から父親とお好み焼き屋へ。
 2時間後、
「しかし、なんでお好み焼き3枚で9千円やねん」
 帰途、ふたり酩酊してふらふらと白昼を歩く。
「まっ昼間からの日本酒はきくんだわ」と父。
「おっかしいなあ。最初ビールやったのに」
「お前が熱燗! なんて言うからやないか」
「お、いいですねえ、とか言って、おやじかて、喜んどったやないか」
「一升は飲んだな」
「うん、飲んだ」
 実家にもどって、
「さあビール飲もか」
「ないで」
「ないのん?」
「お前が、ぜんぶ飲んでしもうたやないか」
 父親は、まあええわ、ウイスキーつくったると言って秘蔵のヤマザキとかいうやつを出した。
 飲みながら録画したツール・ド・フランスのタイムトライアルをくり返しみる。プロローグを優勝した自転車は僕の自転車と同じバイク。
 個人タイムトライアルは起伏のある50キロ以上のコースを平均時速49キロ。くり返し見る。ウイスキーといっしょに注魂。
 そんなことをしているうちに日が沈み、腹が減ってきたので、寿司屋に行った。
 またビールからはじまって、熱燗。1万6千円。
 午後8時、寿司屋を出て、新松戸東祭りへ。顔見知りの居酒屋が出店していた席に呼ばれ、ビール500を2つ。1000円。
 午後9時、祭り会場を後にし、父親の行きつけの居酒屋へ行き、またまたビールからはじめて熱燗へ。父のテニス仲間が集う店である。
 しこたま飲んで午後11時もせまったころ、ぐでんぐでんになった父が女将に、
「こいつ、明日トライアスロンらしいで。手賀沼泳ぐんやて」
 僕もぐにゃぐにゃになりながら、「いや僕は泳がん。泳ぎません」
「なんや泳がんのか」
「泳がん。ぼくは自転車や」
「なんや自転車だけかいな。トライアスロンいわんやん」
「リレーやからなあ」
「リレーっちゅうことは、他の人もおるんやろ。もうあかんわ。お前、クビやわ」
 熱燗をもう一本頼んだら、女将が、もうだめ、と言ったが、食い下がって二本つけてもらった。
 店に居合わせたテニスの師匠格の人がこちらにやって来て、トライアスロンに興味をもったのか、いろいろ訊ねてくる。
「そんなに煙草を吸っていて、影響ないんですか?」と言われたので、
「僕に関していえば、まったくないです」ときっぱり言ったら、そんなはずはないでしょう、と鼻で笑われた。
 午後11時過ぎ、店を出る。8千円強。
 合計3万4千円。父と飲みまくったレース前日24時間が終わり、僕はぐっすり眠った。


     *


 午前5時起床。会場駐車場に5時半着。
 主将に会って、開口一番、「やりました! 眠れました!」
 午前7時開会式。酒が抜けていない。
 スイムスタート20分前。仮設トイレに入ったら、強烈な汚臭に考える間もなく吐いた。吐いたらすっきりした。
 物珍しそうな観客が手賀大橋を埋め、午前8時、第一ウェーブ(個人部門)スタート。手賀沼に茶色い水しぶきが上がる。
 10分後、第二ウェーブ(リレー部門)スタート。手賀沼に茶色い水しぶきが上がる。
 最初にスイムから上がってきたのは、全日本トライアスロン連合指定強化選手の岩田さん。アイアンマン・ジャパン4位のプロトライアスリート松丸選手がやや遅れをとる。
 リレー部門はイマイ君が8位で上がってきた。バトンタッチで出撃。コースに出た瞬間、目の前をアイアンマン女子優勝の今泉奈緒美プロが!
 尻振りロケットスタートで今泉プロをパス。抜いた瞬間、やってしもた・・と後悔。じつはアイアンマン・ジャパンで今泉プロには自転車だけで1時間も差をつけられていた。
 往路4キロ、追い風微風で時速45キロ維持。今泉プロを後ろに背負ったことで、序盤から計算外の全力アタックを強いられる。きょえー死ぬー!
 折り返し地点でコースをUターンし、復路4キロはメーターが37キロまで落ちた。
 起点でまた折り返す。これを5往復して40キロを走る。つまり合計10回、Uターンからのゼロ発進。これがけっこう足にくる。左フクラハギが攣りかけている。が、ロケッツの声援がロケットダッシュを後押しする。サニーフィッシュの佐藤コーチの声援はまさにブースター。さすがプロコーチ・・いいとこにいてくれるなあ。
 ダッシュ後の45キロから徐々に平常ペースに落ち着き、時速40キロをキープ。
 PTA飲み友だちのつかさんがカメラを構えている。
 一瞬だけ43キロにアップ。
 セマスのヤマヒロくんが巨大なカメラを構えている。
 セマスのアッキーはビデオをまわしている。
 また43キロにアップ。
 彼らは炎天下を立っている。
 彼らが見えなくなるとペースが落ちる。

 復路は35キロまでさらに落ちるが、彼らが見えるところだけは死ぬ気で40キロオーバーまで上げる。
 折り返すごとに、あることに気づいた。今泉プロが少しずつ離れているような気がする。
 応援の人の前でだけペースが上がる不真面目な走り方だが、結果的には限界を越えた全開走行だ。
 足が攣る。彼らは炎天下を立っている。セマスのジャージの人を、他にも二人見た。
 毎回、復路がきつい。時速35キロまで落ちたメーターを見て、めげそうになる。ツール・ド・フランス。平均時速49キロ。メーターに49という数字がかさなる。35なんて、35なんて、漕いでるとはいわねえんだああっと、平地で無意味なダンシング。
 ラストの復路。大腿筋と延髄にボトルの水をジャバーっとかけて、一喝、うぉんぎゃあっと吠えて注魂。これ、テレビで見てから一回やってみたかった。
 行こう。4キロ先で、ナカガワ主将が待っている。
 ヤマヒロくんの横を過ぎる。アッキーの横を過ぎる。ペースを上げる。つかさんの横を過ぎる。
 降車位置できっちり自転車を降りてトランジションエリアへ。うむ、今回は冷静。ここでいつもミスするのに、と思って、にやっとしたのに、ナカガワ主将の引き締まった顔を見たら、うれしくて自転車を放り投げてしまった。
「だめー!! バイクはラックにかけてー!!」
 ルールでバイクをラックをかけないと、バトンリレーしてはいけないのだった。やっぱり最後にやってしまった・・恥ずかしい。
 この時点で自転車1位、途中経過も1位。
 めずらしく主将が笑っていなかった。いつも笑っているのに、とロケッツメンバーもざわざわ。
 本気なんだ。本気の本気で本気なんだ、と思った。ロケッツ創設以来の悲願にむけて。
 主将のランは凄まじかった。リレーとはいえ、プロの松丸選手よりも速いタイム、みごとラン1位で帰ってきた。
 この時点でリレー総合1位がかたまった。
 無名県立・NKロケッツ! 初優勝!
 ゴールテープは三人いっしょに切った。主将はやっぱり笑っていなかった。
 意識が朦朧としていた。チームメイトが紙コップの水を渡したが、コップを持つ手はその重さに耐えられないかのようにみるみる傾き、水がだらだらこぼれていた。水をだらだらこぼしながら主将は気づかず、笑わず立っていた。凄絶な光景だった。
 このあとロケッツの3チームも激しいチーム内接戦で完走。応援は力が入った。

(ロケッツレディースチーム<リレー混合5位>のゴール/撮影:つかさん
 チームで表彰式を待つのは初めての経験だった。
 最終走者がゴールするまで待ったので、二時間近く炎天下にいた。競技よりもこの時間の方がつらかったぐらい暑かった。応援に来てくれた、PTAのつかさん、セマス(セオサイクル新松戸)のあっきー&やまひろくんも最後までいてくれた。ほんとうに、ありがとう。
 表彰式では、ピンクのロケッツジャージ三人と娘ら子どもふたりの合計5人が狭い表彰台にひしめきあって立った。ピンクジャージとは別に、セマスのジャージも掲げさせてもらった。自転車パート担当として、いつも面倒をみてもらっているセマスの御旗をトライアスロン大会表彰台の中央に掲げられたのは、うれしかった。
 やまひろくん指導の記念撮影のあと、ロケッツメンバーは会場横の温泉施設へ。いやあ、ここ、ほんとによかった。
 日暮れまで酒を飲み、妻の運転で帰途についた。
 クルマの中でずっと眠れなかった。ナカガワ主将の気迫のラン、そしてラン1位に魂を揺さぶられたのだ。佐賀北高校の件以来、僕の魂はとても揺さぶられ安くなっている。
 クルマが東名高速大井松田インターチェンジを降りたあと、僕はたまらず、クルマを降ろしてくれ、と言った。
「どうすんの?」
「走って帰る」
 夜の小田原の風を切って、全力でランニングした。ずっと自転車のためにランニングも控えていたので、思いっきり走りたかった。
 家までの8.4キロを36分で走った。その日の競技よりもきつかった。
 来年、また手賀沼トライアスロンのリレーに出ることになったら、今度はラン担当をやってみたい。

(撮影:やまひろさん:http://blogs.yahoo.co.jp/yamahiro0329

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