朝、テレビアニメの音で目覚めた。
うちはふだんはテレビ禁止なのだが、日曜早朝は娘が僕のスキをついてアニメ番組を見ることがある。
「こらー、テレビ禁止」
と言ったら、娘が、
「駅伝やってたよ」
「駅伝! チャンネルかえろ!」
と、テレビ禁止豹変。
駅伝ではなかった。競歩50kmの決勝だった。
かねてから競歩には最大級のリスペクトと関心を持っていたので、すぐさま釘づけになった。
フルマラソンを3時間切りに迫るペースで50kmを駆け抜ける、いや、歩き抜ける。
1時間半。単独トップの中国に日本人を含む第二集団が追いつき、直後、先頭に出る日本人。
まさに日本競歩界悲願の瞬間。鳥肌が立った。解説者の陸連の人も「鳥肌が立ちました」と言っていた。今、日本の中で、ほとんどの人は寝ているか、クルマを運転している。限りなく少ない人が、この瞬間に歴史を感じている。
後はどうなってもいいから、このままついていってもらいたいですね。世界がどういうものか、日本人で経験した人はいないのだから、と、解説者が言った。なんというホットな競技だろうと痺れた。結果はどうなってもいいから、1分でも長く世界を感じろ、なんて、マラソンで言ったら抗議の電話が殺到だろう。まるで訂正するかのように、他の解説者が、明らかに飛ばしすぎ、冷静になってメダルを狙ってほしい、と、まっとうな言葉を継ぎ足した。くたばれ。
草創期なのである。まさに日本が世界に出る草創期の競技、そんなホットさが競歩にはある。東大卒で会社勤務しながら競歩をやっているという選手も出ている。大学時代からはじめたそうだ。高校駅伝から転向した選手もいる。
トップを歩くオーストラリア人選手のフォームはものすごく洗練されていて美しい。「歩くことは自分を見つめることだ」といつも言っているそうだ。歩く求道者だ。
競歩はまた、陸上競技で唯一、フォーム違反がとられる競技だ。有力選手が目の前で次々とフォーム違反で失格していく。しかも本人にはその場では知らされない。知らないまま違反をかさねてしまう。疲れると人は自然と走るフォームに近づく。その自然に徹底して精神力でおさえつける。違反のプレッシャーが選手を蝕む。スリリングだ。
筋肉が痙攣して脱落する選手、路上で嘔吐する選手も続出。解説者は言った。
「吐けばいいんです。吐いてすっきりしたら歩けます」
なんとう苛酷な競技か。
「おーっと、アテネオリンピック8位・スペインのペレス、歩いてます・・あ、いえ、歩く競技ではありますが、止まりそうになって歩いてます」
「競歩の場合、止まっちゃうんですよね。もともと歩いてますから」
競歩のテレビ中継も不慣れでおもしろい。
やがて日本人トップの選手がラストで失速。しかも残り周回1周で、審判員が間違えてゴールのあるスタジアムに誘導。
解説者、アナウンサー、そしてわが一家絶叫ーーーー!!!
「ヤマザキ選手、まだ気づいてません。今もどれば間にあいます。このままゴールすると失格です。しかし死力を尽くした選手に、もう1周、そんな残酷なことをいったい誰が言えるんでしょうかあーー!!」
はあはあはあ・・。
解説者が言っていた。
「競歩は見ているだけで疲れる競技です」
もう今すぐ競歩マガジンを買いに行こう。しかし売っているのだろうか。