『そのときは彼によろしく』市川拓治

「こういうのをユングならシンクロニシティーって呼ぶんでしょうね」
「宗教家なら神のお導きって言うだろうね」
「私なら、よく出来た偶然と呼ぶがね。実際それが世界を動かしているんだ」
 父さんはそう言って、イカのフリットを口に運んだ。


 良く出来た偶然。実際、それが世界を動かしている。よく出来た偶然、それは畢竟、必然とも言う。

「男を好きになるって、けっこうプリミティブな感覚よ。胸が熱くなって、毛穴からなにやら得体の知れないものが吹き出すの」
「何それ?」
「恋の有機分子。ナノサイズのラブレターよ」
 理工学系らしい彼女の表現だった。


 毛穴から出る得体のしれないもの。エクリン腺とアポクリン腺アポクリン腺から出るたんぱく質が、皮膚の常在細菌に分解されて匂いを発する。硫黄臭、スパイス臭など、腋臭(わきが)の原因でもあるが、香料のカギを握る物質でもあり、特許競争にさらされている。