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『走ることについて僕が語ること』村上春樹

僕の中に新たに生じたもの? ぴったりした言葉が見つけられないのだが、それはあるいは「諦観」に近いものだったかもしれない。100キロレースを完走することによって、大げさにいえば僕は「ちょっと違う場所」に足を踏み入れてしまったようだった。75キロを過ぎて疲労感がどこかにふっと消えてしまってからの意識の空白化には、なにかしら哲学的な、あるいは宗教的な趣さえあった。そこには僕に何らかの内省を強いるものがあるようだった。そのせいで僕は、走るという行為に対して、以前のような「何がなんでも」という、単純に前向きな気持ちを持てなくなってしまったのかもしれない。


(『走ることについて僕が語ること』村上春樹


 村上春樹さんがサロマ100キロマラソンを完走したときの文章である。
 ひとつのフルマラソン大会に十万人を越える応募者が殺到する時代、フルマラソンはいまやテーマパークと変わるところのない予定調和的なイベントかもしれない。
 サブフォーサブスリーという言葉あるように、タイムでも追わないかぎり、42.195キロを走ることは、もはや日本人の嗜(たしな)みぐらいのものなのだ。タイムを越えた「諦観」、つまり走ることの純化を体で感じるためには、100キロもの距離が必要なのだとしたら、ずいぶんへんてこな動物になってしまったものだ。