アスリート的な語録4つ

 大阪で飲んだとき、高校同窓のアリタがめずらしく怒っていた。
 話はこうである。
「筑波マラソン、3時間切ったか?」
「あかんかった。というか、ぜんぜんあかんかった」
「何があった?」
「渋滞にはまった」
 三時間切りのスタートラインに並んだのだが、ぜんぜん三時間切りをするつもりのなさそうな人たちばっかりで渋滞し、思うように走れなかった。でも、これは一因であって、ほんとうは実力的にも難しかった。
 アリタは怒った。そんなやつら、押しのけていけばいいじゃないか、と、めずらしく語気を荒げて杯を傾ける。マナーの悪いランナーたちのことを怒っているのかと思ったから、他人ごとみたいにへらへらしていたら、「おまえがなさけない!」と、なんと僕に対して怒っていたのだった。
 走る以上、記録に対して、もっと真剣であれ、と彼は語った。
 レースの24時間前まで酔いつぶれて路上寝し、最後は警察署で夜を明かしたことを彼は知っていて、なお怒った。怒らせついでに、もうひとつ真相を告白。
「心拍センサーとシューズセンサーは持っていったのに、肝心の腕時計を忘れた」
 アリタは、がっくり、うなだれた。やる気あんのか、コンディションも含めて最高の状態に持っていくのがアスリートだろう、と言った。彼は元陸上部の短距離走者である。
「だから、アスリートちゃう言うてるやん」
 僕は煙草の煙をわざとアリタに吹きかけながら言うと、
「お前は初マラソンで3時間35分だっただろ(人のこと、よく覚えてるなあ)。二回目は当然、三時間切らなきゃだめじゃないか」
 ほんとうですか、それは。


 その筑波マラソンが終わった日、実家の父の家に飲みに行った。
「おう、そんでどうやったんや?」と父。
「あかんかった。3時間17分」
「ぜんぜん、あかんやないか」
「甘かった。思ったより、たいへんやわ」
「3時間と2時間50分じゃ、天と地の差やで。お前は、スタートラインにも立っとらん」
 父にしても、アリタにしても、マラソンはやっていないものの、関西人である。


 昨日、プールで。
 最近、スイミングスクールに行っている。
 バタフライをおそわって二ヶ月。先日、やっと50m泳げるようになった。
 スクールの人数が多かったので、先頭をやらされていた僕は毎回、最後尾に追いついてしまう。人を押しのけるのも何なので、ゴール手前2mぐらいで泳ぐのをやめて列に並ぶと、僕の真後ろを泳いでいた大ベテランのおじいさんから叱られた。
「何があっても壁にタッチするまで泳ぎなさい。いつもそんなことをやってると、いざレースのとき、壁が見えたら体がさぼる癖がつくぞ」
 壁どころか、人が見ていないところでサボる癖がある僕にとっては、心にしみる深い言葉であった。


 最後は筑波マラソンの写真を見た佳代子の言葉。
「ひとりだけ、どう見てもランナーじゃない人がいる」