ジャパンオープン野尻湖カップ国体予選レポート

 当初は金曜日夜に野尻湖にむけて出発しようと思っていたが、東京で取引先と飲み会が入った。
 午後3時から上野の飲みつづけるも、終電でちゃんと帰ってきて家族が驚いていた。今回のお父さんは、ひとあじ、やる気がちがう? いえ、単に歳のせいかしんどくなってきたので。
 睡眠導入剤ドリエルが効き過ぎたのか、翌朝もぼーっとして頭が痛い。頭痛は終日つづいた。
 昼に野尻湖着。ほぼ時を同じくして、今回、トライアスロンデビューのNKロケッツ宮さまと合流。
 さすが国体予選だけあって、チャリの車検、競技説明会、前日受付なんかで日が暮れた。
 宿では宮さまと定例の宴会。
 僕はビールおよそ2.5リットルと日本酒1合。
「ちょっと飲みすぎちゃいましたかね〜」
 とか言いつつ、奇跡的に午後9時の就寝予定を守れた。今回のお父さんは、ひとあじ、やる気がちがう? いえ、歳のせい。


 大会当日。夜来の豪雨が嘘のように晴れわたった。
 選手受付は午前7時からだが、10分前になって事件発生。

「なんか、しゅーっていってない?」
 と娘が言うので、そんなわけねーじゃーんと笑い飛ばし、宮さまも「空気入れの音じゃないの」と言い、空気入れから確かにしゅーっという音がしていたのでボンベの空気を抜いて音をとめた。
 が、まだ、しゅ〜〜〜。
 後輪に穴が開いていた。
 二年前だか三年前だか、いつつけたか分からないチューブラータイヤはリムに接着剤が固着してはがれない。もうパニック。というか、これはもうだめでしょう、と早くも得意技のDNS(ドューノットスタート)が頭をよぎる。宮さまが懸命にタイヤをはがしてくれて、10分遅れで受付完了。とりあえず煙草で一服。


 午前8時30分。申告タイム順におよそ200名の第1ウェーブのスイムスタート。僕もこの中で野尻湖を1.5km泳ぐ。5分後におよそ150名、第2ウェーブの宮さまスタート。また、娘もジュニアの部で同時刻に併設のプールにてスタート。
 この1年間、スイムにいちばん力を入れてきた。二年前まではランがきわだった弱点だったのだが、そこをなんとか克服したところ、今度はスイムのだめっぷりが目立つようになってきただけに、毎日泳いでがんばったつもり。チャリの練習といえそうなものは裏山の2km区間を登ったり下ったりだけ、ローラー台とか持ってないし、ランはバトルツアー東海道五十三次での街道走りがメイン。ってな感じで、ほとんど総力をスイムにかけてきただけに、おお〜、さすがに序盤はいい感じ。(あいかわらずバトルには打ち負けるけど)
 第1ウェーブ先頭の方は北京オリンピック17位の上田選手ら5人の招待選手や国体の候補者らが18分台〜19分台のオリンピック・スピードで突き進んでしまうので、まあこれは当然はるかかなたで見えないわけだけど、いわゆる一般人の形成する第一集団っぽい群れのシッポに食らいついていた。集団のシッポはスリップストリーム効果が高くてかなりラクなんだけどね。いつもとちがって苦手なスイムなのに気分的な余裕がある。ちょっと今日の市原はひとあじ違いますね。
 しかし600メートルの第1折り返しブイを曲がったところから一般人第1集団がバラけはじめ、僕の前の二人が脱落気味に。いつもならコバンザメ泳法をつづける弱気の市原だが、今日の市原はひとあじちがった。なんといってもこの一年、スイムを強化してきたのだ。この気分的余裕。ふぉふぉふぉふぉ、と、二人を抜き去り、第一集団に食い下がろうと追いかける別の二人にキャッチアップし、食らいついた。
 しかし・・。このふたりはペースが速すぎた。というか、僕のスタミナが足りなかったのか。やっぱりあの余裕は、自信は、完全な勘違いのようであった。
 徐々に離されていく。
 泳ぎがおかしくなってくる。
 左に左に曲がってしまう。
 こりゃだめだ、と後ろを見る。
 すると・・がびーん!
 だれもおらん・・。
 完全な単独泳になってしまったのである。トライアスロンを始めてから、いつも小ずるくコバンザメで生きてきたから、まだ一度も単独泳の経験がない。というか僕のクロールは息継ぎが右しかできないせいなのか方向感覚がむちゃくちゃで、一度など、いつのまにかコースを逆走したことがあるぐらいだ。いや〜、前方から選手がずんずん迫ってくるのを見たときは、ほんとびっくりしましたね、とか回想している場合じゃなくて、とりあえず後ろが追いついてくるのを待った。
 女子選手を含む三人と合流し、後ろを泳ぐ。やっぱ女子選手の後ろやね。
 そして第2のコーナーブイ通過。
 残るは直線400メートル。と思ったら、女子選手がスパート。ぶっちぎられ、残りの男子選手についていこうとしたが、これもだめ。後ろを見るも、いない。うわーん、と、残りは平泳ぎ。しかしこれが思いのほか速い。これから平泳ぎでいこうかな。前がちゃんと見えるし。


 チャリで走りだすと、すぐに登坂がはじまる。野尻湖を3周回する45kmのコースだ。野尻湖は山と崖に囲まれた湖でコースはほとんど平坦路がなく、延々とつづくタイトな起伏。道幅は狭くコーナーも鋭角。ところどころ落葉を含んだ路面は濡れ、最悪なのはアスファルトがものすごく荒れている。この大会がトライアスロンではきわめてめずらしく、DHバー禁止であることに納得がいった。
 もう生きた心地がしない。なんせ朝パンクのせいで、後輪はリムセメントなしの仮タイヤ。コーナーではずれちゃったらどうしよ? 崖、転落注意の看板。ぎゃひん。
 ギャップを踏むごとに、がきょーん、みしみしっという音。壊れそう、というか、壊れてないかこれ。
 変速がおかしい。ちゃんと入らず、ずっとがちゃがちゃいっていて、ときどきオートシフト、触ってもないのにばきょーんとかいって変速が2段飛びとかする。整備不良、ちゅうか、朝あわててホイールをはめたから、ズレたまま入れてしまったようだ。そういえば、がちゃがちゃ音とは別の、この、しゅいんしゅいんって音・・ブレーキも引きずってる? 走りながらブレーキの調整を全開にするも変わらず。これ、完全にズレてしもてますね。
 1周回目。とてつもない15kmだったですよ。こんなに15kmって長かったっけ?
 しかも大会本部前のストレートで向かい風の中、死ぬ気で踏み込んで時速43kmで走るも、応援席に妻と娘の姿はなし。脱力しましたね。がんばってる姿を見せようと無理したんですよ。


 ちょうど同じころ、妻はジュニア会場の表彰式で興奮のあまりブレまくりの手でカメラ撮影を行っていた。
 にわか特訓の成果もでずランがほぼブービーの走りながらも、男女総合チャリ2位の猛走を見せた娘が、まさにチャリのおかげだけで女子4位として表彰式にのぞんでいた。

 また、ちょうど同じころ、宮さまは苦痛と喜悦のまじった不思議な感覚で、夢にまで見たであろうスイムゴールにむけて背泳ぎをしていた。かたわらではサーフボードにのった救命隊員が、
「だいじょうぶ。まっすぐ進んでますよ」
 と、専属の伴走者となってさかんに激励をおくっていた。背泳ぎをする宮さまの目に、野尻湖の空は青かったであろうか。
「そろそろクロール、やってみたら?」
 そう促され、宮さまは悲願のゴールにむけてくるりと体を反転させ、平泳ぎを始めた。岸が正面に見えた。


 一方、チャリをひた漕ぐ僕の方はというと、ギヤ不調のために一度もインナーギヤに入れないまま最周回を終えたのだったが、チャリゴールの入り方を間違えて、係員に「チャリのゴールってどこですか〜?」
 またやってしまった。このどたばたで1機に抜かれた。
 ランスタートのゲートをくぐるとき、娘が、「6位だよ〜!」
 6位までが入賞対象である。あわよくば・・なんて思わないところが僕の良いところである。そんなに世の中甘くない。5分遅れでスタートしている第2ウェーブの選手の中にも、猛追してくる人や、申告タイムを偽ってくる人もいて、見えない上位者はいるのだ。(実際には11位通過)
 さっそく走りだして1kmでふたりにゴボウ抜きされ、ははっ、やっぱりね、なんて言って脱力。(しかしこれが後で思わぬ効を奏する)
 2km地点から強烈な登り坂。脱力したまま歩くような速度で登ったら、下りになったときはもうはるか前方まで誰も見えなくなっていた。
 ランの苦手意識はなくなったとはいえ自信があるほどでもない。ラン経験といっても3年ぐらいのものだし、昨年などラン大会でリタイヤも喫している。16kmの起伏ルートというのは、どんなコースなのかあまり想像できない。だいたいランは平坦路だとばかり勝手に思い込んでいて、前日の競技説明会で起伏ルートと聞いてがくぜん。この一ヶ月は、東海道五十三次とか屁こき道中してる場合じゃなくて、ちゃんと箱根練習とかやっておくべきだったな、と今さらながら思った。
 背中から迫るひたひたという足音にびびりながら、しかしそれは自分の足音だったり、チャリの貯金がきいていたのか、その後はとくに追いつかれることもなく、8kmの折り返し地点までには、逆に失速した三人を抜いた。
 ふぉふぉふぉ、今日のぼくって、もしかして小粋にクレヴァーな走りってやつとちゃう? 冷静と情熱のあいだ、なんちってとか、また余裕こいていたら、猛追してきた別のひとりに抜かれた。が、この人はリレーの部1位の選手だったので僕の順位とは関係なし。この人にしばらくコバンザメしちゃおうと思って貼りついていたら、
「前、行きます?」と道を譲られ、
「いやいや、とんでもねーっす。たぶん、そろそろオチるんで、ぼく」
 と返答したら笑ってくれて、しばらく会話しながら走った。
「あなた、もう入賞かたいでしょう。後ろきてないし」と言われ、
「でも、さっき応援の人が7位って言ってたから、ムリかなあ。前とずいぶんあいちゃってるし」
 残り4km地点からの登り坂でこの選手と別れた。僕は終盤の失速を防ぐためと、後ろから急追してくる選手がいた日には、ゴール前でみごと抜き返し、家族を大絶叫で湧かせる体力を温存しておくための、小粋でクレヴァーなる積極的消極策なのだと自分への言い訳をねつ造して、きつい登り坂はへえこらと歩いた。最後の峠を越え、残りは下りと平坦路。ところが追ってくる選手は見あたらず。
 私の想定したねつ造大逆転劇による家族喝采と、それをきっかけにした家族再生プログラムも不発で終わりそうであるし、ここは最低限でも全速力でゴールテープを切るところを見せて、がんばっているおとーさんを演出しようと、またもや姑息に見えないとこで温存作戦。こうして後ろを気にしながらラスト2kmをつらつら走った。
 一方、妻の方は、ゴールゲート前の一等地、まさにテレビ局取材陣の真横に陣取って、あいかわらずブレまくりの手でカメラを構えて立っていた。
 6位までは入賞バトルもあり、また国体出場枠もかかっているために、カメラマンを乗せた取材バイクが選手と並走するなど、熱い取材体制でのぞんでいたテレビクルーたちも、とりあえず主力選手のゴールまでをきっちりおさえたことで、ほっと息をついていた。二分ほどの間があいて、そろそろ誰か来るかとカメラマンがファインダーをのぞきズーム位置を確認したとき、ゴール会場にアナウンスが入った。
「85番、まもなくゴールに入ります」
 ディレクターが名簿に目を落とす。事前の下調べで、招待選手はもちろん、有力な選手、ことに長野県出身で国体の切符をかけている選手など取材すべき選手には蛍光ペンでマークをしてある。85にマークはない。ディレクターはつぶやいた。
「85番って、だれだそいつ」
「そいつは私の夫です」と即座に切り返したのが、僕の妻である。
 そいつはゴール後、妻に手を差し出しながら開口いちばんこう言った。「た、煙草」


 総合7位かと思っていたが、第2ウェーブの上位選手があいだに入ってきたことや、カウント違いなどもあったのか、公式記録で10位だった。
 年代別入賞は40歳以上が対象なので39歳の僕はだめ。
 妻の話では、入賞選手たちはみんな、足から流れた血でシューズが染まっていたそうだ。
「血出た?」と、僕の足もとを見る妻。しかし僕のシューズはもともと赤である。


 トライアスロンデビューの宮さまは、この類いまれなる難コースを無事ゴール、完走した。400名近い選手登録があったのに、フィニッシャーとして名前が掲載されていたのは318名。その中にしっかり宮さまの名前が入っていた。

大会の様子は、SBC信越放送(長野県のJNN系列局)番組「3時は!ららら♪」で8日(水)に放送の他、7月20日に同放送にて特別番組を放送予定。
http://www.sbc21.co.jp/tv/lalala/index.php?action=scatdelete&catid=92


●大会公式リザルト
http://www.town.shinanomachi.nagano.jp/triathlon/pdf/09sougou.pdf