本土最終未踏県、鹿児島

学生時代のオートバイ全国弾道バトルツアーで、日本列島の都道府県はほとんどまわった。
沖縄を除く本土で唯一の未踏地のままとなっていたのが鹿児島である。
2009年の夏、鹿児島にチャレンジしたことがある。皆既日食を見に行こうとしたのである。しかし、あまりの遠さに挫折し、目的地を山陰に変更した。
そして2012年冬。特に鹿児島で何かがあるわけでもなかったが、個人的に仕事で大きな節目、決断をしなくてはならないときでもあった。
家族には「男にはやらねばならぬことがある」と言い残し、一路、商用車で西に向かった。


カーナビに鹿児島と入力すれば、目的地までの距離と時間が表示されるはずだ。それを見ればあまりの遠さに心が折れそうな気がしたので、ナビには何も入れずに走ったら、神戸のあたりで強制的に高速道路をおろされてしまった。てっきりまっすぐ行けば中国道とか山陽道に行くのかと思っていたら、そうではなかった。ふだんナビに頼りすぎているので、ちゃんと看板を見ていなかったようだ。
神戸の町中をさんざん迷ったあげく、姫路まで来てようやく高速道路にカムバックすることができた。


とにかく九州にさえ上陸すれば、と思っていた。
九州までの道のりは学生時代にオートバイで下道だけで行こうとしたら、九州上陸までにまる3日かかったので、侮ってはいない。しかし九州にさえ上陸してしまえば、あとは、へらへらっと鹿児島に着くと思っていた。
関門海峡。



九州だ。もう怖れることはないとばかりに、ナビに目的地を入力したら・・鹿児島は、はるかはるか遠くであった。
九州を甘く見ていた。四国生まれの僕は九州もきっと島みたいなものとタカをくくっていたのだが、こうして現実を目の当たりにしてみれば、九州はじつに大陸であった。
このころ、「らららムジンくん、ららら」のフレーズがなぜか頭のなかで延々とループしていたのも、意識レベルを低下させることによって現実認識を遠ざけていたのだろう。余談だが「ムジンくん」の歌は、妻が破水したときに突如、頭のなかでわき上がり、5時間後に出産した娘の顔を見る瞬間まで、ずっと頭のなかをまわっていた曲である。


らららムジンくん、らららムジンくん、ららら。
午後4時、鹿児島空港近くのサービスエリアに到着。
鹿児島は遠かった。しかし同時に24時間あれば行けるんじゃんと、ちょっと気抜けもしていた。とはいっても、1300kmの行程でエンジンを停めたのは2回だけである。口にしたのは買い置きしておいた2リットルの水と5個で90円の特価ロールパンのみ。さすがに心がサイボーグみたいになっていた。


さて、鹿児島で何をしたのか。家に帰ったあと、写真を見て愕然とした。鹿児島らしい写真といえば、これだけである。






山は一応、開聞岳である。しかし名物の砂蒸し温泉などは横目で眺めて通り過ぎる。
走ったルートはこれである。

鹿児島に着いてからも、食うものといえば買い置きの5個90円ロールパン。
ロールパン以外に食ったものといえば、これだけである。黒豚とんかつ定食1500円と九州限定おにぎり。


そう。極端に金がなかったのである。
いつもなら旅立ちのときは妻が餞別といって幾ばくかの万札をくれるので、完全にそれをあてこんでいた。その数枚の万札があればこそ、懐手をして美味いもんを食ったり、酒を飲んだり、温泉でぬくぬくしたりすることが可能になるのであるが、今回はあまりに出立が唐突だったのと、「男にはやるべきことがある」とワケの分からぬことを言い残したため、妻の不興を買ってしまったのかもしれない。
餞別のないまま九州では雨にたたられ、物見遊山やふな釣りもできなかった。寝泊まりはすべて車中、風呂も入らず、けっきょく逃げるように九州を離脱した。

はて私は何をしに行ったのか。通りすがりに立ち寄った名も知らぬ野池で、たまたま巨大なオオクチバスが釣れたのが、唯一の慰めであるが、もちろんこれが目的ではなかったはずだ。

そうだった。決断をする旅やった。
とはいっても、鹿児島を往復した長い時間、よい考えが浮かんだわけでなし、思案がまとまったわけでもない。
延々と高速道路を走りながら、ナビ画面で周辺の野池を探す遊びを創案し、ほくほく遊びにうち興じていたが、そんなことで喜んでいる場合ではない。
ただ、収穫がなかったわけではない。らららムジンくん、らららムジンくん、ららら・・と意識レベルを低下させて走っているうちに、なぜかよく分からないが腹がすわってきたのである。家に帰り着いたときには、すっきりしていた。
何かを決断しなくても、迷いを消し去る方法はあるのだと、このとき初めて知った。