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まるくなったのではない。負けたのだ

人は、質が上がった時には意外とわからない。しかし、下がった時には瞬時にわかる
平野啓一郎・作家)

健康もしかり。

「東京の繁華街で黒々とした衣服の群衆が縦横に歩いているのを目のあたりにしたとき、黒い魚の群れを連想し、私もまぎれこんで遊泳してみたくなったんです。そうすれば、まるで姿を消したように自由になれそうだったから」
ドーリス・デリエ・映画監督)

そんなところに、そんな自由があったのか!

「日本語も分からず、手足をもぎとられたように無力だったはずなのに、なぜか安心しきっていられた。見ず知らずの人たちと心地よい距離感で触れあえたからでした」
ドーリス・デリエ

そんなところに心地よい距離感があったのか!

ベケットの「ゴドーを待ちながら」では、田舎道に一本の木が生えています。地平線と木との交差点が虚空の軸になって、そこから空間が遠心的に広がっていく。これが現代劇の出発点になってるんじゃないか。
別役実

そんなところに現代劇の出発点があったのか!

電話であろうと、直接会って話しているのであろうと、沈黙はかなり効果的な武器だ。沈黙は相手の不安をかきたてる。そのせいで何か言ったり、やったりして、無理にでも沈黙を終わらせようとする。
(ベン・ロペス『ネゴシエーター 人質救出の心理戦』)

そんなところに武器があったのか!

道具箱にハンマーしかなければ、見るものすべてが「釘」に見えてくる。
(ラリー・ブリッジ/ニューヨーク市警交渉班)

道具箱に猟銃しかなければ、見るものすべてが獲物に見えてくる。
冤罪は、こうした「釘」たちの悲劇である。

「自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだった」
赤坂真理『東京プリズン』)

「まるくなりましたねえ」とよく言われる。
確かに最近、怒らなくなった。若いころは人にも世界にも怒ってばかりいた。怒る以上、自分もちゃんとしようと思っていた。
怒らなくなったのは、単にちゃんとしようとするのをあきらめただけだった。
まるくなったのではない。負けたのだ。

エネルギーに一定の法則があるように、最悪もまた、ひとつ消化されれば次の最悪で補填(ほてん)され一定の最悪を保とうとする。最悪一定の法則だ。
(『私はテレビに出たかった』松尾スズキ

この法則の悪しきループから抜け出すための最善の方法は、おそらく、待つことだ。

「月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然(ほんねん)の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」
(森敦「月山」)

知ろうとせず、見ようとしない。全身、コレスポンデンスですよ。

「男は心に紙飛行機を。1枚の紙と小さな窓があれば、どんな世界にでも飛んでいける」
阿久悠

耳に心地よい言葉だがみごとに軽い。さすが職人技。

社会を支える信頼は、言葉という、頭で考えた道具ではなく、人間が生物学的に備える身体感覚で作られる。言葉が氾濫(はんらん)する社会で体の声をどう聞くか。
(山際寿一「ゴリラは語る」の著者)

ホームに落ちた人、溺れている子ども・・それを見て、とっさに人が飛び込んでしまうのは、理屈ではなく身体感覚だから多分にゴリラ的である。
とっさに飛び込まずに、頭で考える人は、きっと完全に「人間」として進化した人なのだろう。

ゴリラは平和的な種族で争いごとを上手に解決する知恵ももつ。人間の階層格差を生み出すのは、所有欲、過剰な愛、そして言語を含めたわずか1.4%の部分。→「15歳の寺子屋 ゴリラは語る」
(山極寿一)

1.4%・・人間とゴリラの遺伝子の違い。しかし、過剰な愛、とは? ゴリラはほどほどに愛する?

大切な人の死は、喪失ではない。死者となった他者と出会い直すことが重要だ。
中島岳志

死者となった他者との出会い直し。事実を受け入れるということだろうか。でもやっぱり喪失ではないのか。

ふりかけには(風水的に)補充の運気があり、朝食に取り入れると運気の吸収率がアップする。
(ビーミング・ライフストア)

ふりかけは、なんといっても「ゆかり」が好きである。

「倉庫は非日常的な空間だし、いつも動きがある」
川俣正・美術家)

倉庫が大好きだ。大きな倉庫の中に小さな家を建てる。これぞ非日常的空間の中の日常生活。