戦略的だめ男

 トライアスリーな土曜の翌日は雨。両足の激甚な筋肉痛が、よりいっそう敗北感を高める。これまで日々の厳しい享楽的鍛練は何だったのか。やはり享楽ではだめなのか。ストイックにならなければならないのか。
「あがくことはないぞよ。やめてしまうという選択肢もある」
 と、だめにんげん遠藤も言っていた。遠藤はほんとうは仕事のお客さんなので呼びつけにしてはいけないのだが、あまりにも後ろ向きなだめにんげんなので、敬称略なのである。だめにんげんには「駄目人間」とか漢字ももったいない。平仮名でじゅうぶんである。だめにんげん。
 しかしながら、同じだめにんげんでも、
「だめだっていいじゃないか。にんげんだもの」
 という、相田みつを的な宇宙観に安易に感化されやすい僕は、目下、「人から愛されるダメ男」をめざしていて、これはダメ度でいえばちょっとライトな部類であると思う。
 人から愛されるダメ男。2006年の重要な戦略的キーワードでもある。
 筋肉痛が痛い。敗北感が痛い。
 そんな痛みに耐えながら、何もしない、やめてしまう、というのは、じつはけっこう強固な駄目人間としての精神性が求められる。
 というのも、何もしないでいると、よりいっそうみじめな「だめだめ感」が増すので、そこでビール腹を掻きながら寝そべり「笑っていいとも総集編」にえへらえへらと打ち興じるような所作を平然と行なうためには、なみはずれた精神力が求められる。かといってその精神性を得ようとストイックな修練に転落すると「だめにんげん道」からはずれる。
 かような理由で、完全無欠の後ろ向きだめにんげんであり、何ごともまず否定から入り、はなからやめるという選択肢を振りかざして憚らない遠藤様は、じつは最上級の敬称をつけるべき暗黒面の枢機卿とでもいうべき存在なのかもしれない。
 さて人から愛される「並」レベルのダメ人間たる僕は、ここはひとつ享楽的に「迎えトラ」なるものをやってみようと思いついた。いってみれば二日酔いにおける迎え酒みたいなもので、トライアスロンで傷ついた部位は、トライアスロン完遂によって癒そうというこころみである。
 じつは僕はまだトライアスロンの最低限の条件であるスウィム1.5、チャリ40、ラン10を連続してやったことがない。これを達成すれば気分よくダメ人間にひたれるはずだという強いモチベーションを得て、ダイドースポーツクラブに行った。
 ほんとうのトライアスロンは屋外で行なうものだが、外は雨、冷たい雨。フードを頭からかぶって根性で走っている人なんかもいるわけだけれども、そこは享楽的に、室内でのハムちゃんトライアスロンで済ませることにする。
 まず25メートルプールを馬鹿みたいにぐるぐるしていると、おばさんに「あっちで泳いで!」と叱られた。言われるままにあっちに行って続泳し1500メートル達成。
 これは毎日やっていることなので問題ないが、ここからが違う。ちゃちゃっと着替えて今度はプールを見おろす階上のジムに行き、エアロバイクで40キロ分を走る。筋肉が悲鳴をあげる。
 終わったらそのままハムスターのようなランニングマシンに。横のお姉ちゃん、すごいペースで走っていて気後れしつつ、ふんふん汗をまき散らして走ったが、5キロを25分以上かかってしまい、この時点でやる気が失せた。
 そのままやめてしまったあたり、やっぱりダメ人間である。かえって挫折感は増した。遠藤様のように「最初からやらない選択肢もある」と昂然と言い放つ生粋のだめにんげんではなく、中途半端なダメ人間は、どこまでも転落していく運命にあるのか。
 海のむこうから伊豆大島が笑いかける。ここで6月にトライアスロン大会がある。いってみようか。春には享楽的に大島桜を見に行くつもりだったが、ミッションを大会参加に変更しようかと思案する。ダメ人間でもできるのだろうか。
 まずは10キロをランニングできるようになれなければ、完走もできない。