三角からのお使い

 木の葉が風にゆられて散りはじめるとまもなく、分校のむこうの山々が、朝早くなど、うっすら白く見えるようになってきました。
 みえこ先生が、すこしかわった訪問者をむかえることになったのは、ちょうどそんなときでした。
 その夜、みえこ先生は家の机でほおづえをついて、分校の子どもたちのテストの点つけをしていました。夜の窓にうつった自分の顔をながめながら、息をふきかけてガラスをくもらせたり、そこに指で意味もなく丸や四角なんかを書いていると、ガラスのむこうから、じっとこちらを見ているものがいます。暗くてよく見えないのですが、窓わくの反対側で、たしかに何かがこちらをうかがっています。そればかりか、ガラスをとんとんとたたいて、ここをあけろと合図しているみたいです。
 みえこ先生が小さくそっと窓を開けると、つめたい夜の空気といっしょに、「こんばんは」という声がしました。思わず、みえこ先生も「こんばんは」とあいさつしました。
「ちょっとお話させてもらっていいですかね?」
 声の主は中に入ってくるわけでもなく、あいかわらず窓の外で、遠慮がちに声だけ差し入れてきました。
「みえこ先生ですね。存じております」
 声は、こほんとひとつせきをしました。
「じつは、あなたを表彰させていただくことになりまして」
「表彰?」
 まわりにだれかいるわけでもないのに、みえこ先生は思わず、あたりを見まわしてしまいました。
「そうなんです。そのお知らせにまいりまして。いやはや、おめでとうございます」
 みえこ先生はわけも分からないまま、こくりとおじぎをしました。
 そんな様子を見てすこし安心したのか、声の主は、すこしかしこまった調子をあらためて、表彰式の日どりや場所について説明をはじめました。
「この賞はじつに名誉ある賞でして、わたしどもの国のれっきとした大統領が、じきじきにみえこさんに賞状と賞品をおわたしになる予定です」
 あまりに一方的な話なので、みえこ先生にはわけが分かりません。そもそもいったい、何の賞なのか、こころあたりもありません。だんだんと、みえこ先生の顔がけげんになってきたのに気づいたのか、声の主は、すこしあわてた感じで、
「あいや、れっきとした大統領だけじゃご不満でしょうか。もちろん、ほまれ高い国王もおいでになります。そのほか、実権のない国務大臣、やり直しチャレンジ担当大臣、それからそれから・・」
 いろいろな役職を早口でならべたてる声の主に、思いきって、みえこ先生は言ってみました。
「いったい、あなたは、だれなんですか?」
 窓の外がいっしゅん、しんとしました。空気のゆれで、相手がたいへん驚いていることが、みえこ先生にも分かりました。けれど、驚いているのはみえこ先生だって同じです。
 やがて声がしました。
「わたしとしたことが、うっかり申しおくれました。わたしは、さんかくです」
「さんかくって、あの三角形のさんかく?」
 みえこ先生は指で三角形をつくってみせながら言いました。
「いかにも。まちがいなく、その三角です。しかも、ただの三角。ひらの三角。今日はれっきとした大統領の、ただのお使いとして、ここにやって来たしだいです」
「なんかよく分からないけど、その大統領って人も三角で、国も三角なの?」
「あたりまえですよ。れっきとした大統領も三角だし、ほまれ高い国王も三角です。形ももちろんですが、三角による三角のための三角の国なのです」
 みえこ先生はガラスのむこうをじっと見つめ、
「でも、目は丸みたいね。目は三角じゃなくてもいいの?」
 声は苦しそうに、
「うーん、それを言われると、ちょっとつらいところなんですが、三角の目をしてこうしておうかがいした場合、せっかくの受賞のお知らせも、なんだかありがたくないような気がしまして。なんでも、あなたがたの国では、三角はあまり評判がよろしくないとの情報でしたので」
「そんなこともないわよ」
「そうでしょうか。そう言っていただけると安心します。じつは、みえこ先生が今回、賞に決まったのも、先生のそんな姿勢が評価されたのだと思います」
 みえこ先生は、あはは、と笑いましたが、相手が大まじめだったので、すぐに笑いをひっこめなければなりませんでした。
 声の主は窓のすきまから小さな紙を差しだしました。受け取って、読んでみると、
「みえこどの。今晩、一万個目のよい三角をつくったことを記念して」
 と、あります。
「なんのことかしら?」
「あなたは分校の子どもたちに、たくさんのよい三角をひろめてくれましたしね。それでは、表彰式でお会いしましょう。ごきげんよう」
 カーテンをちょっと揺らすぐらいの風が吹いて、声の主の気配は消えてしまいました。
 みえこ先生はしばらくのあいだ、ぼうっとしていましたが、目をぱちっとさせて首をふると、
「つかれてるのかな。コーヒーでも飲もうかしら」
 そうして窓を閉めると、やりかけだったテストの点つけにもどりました。
 赤えんぴつを持ったみえこ先生の手が、はっと止まりました。テストの紙の上の、真っ赤な三角が目にとびこんできました。三角の横や下にはかならず、まるでもなく、ばつでもない理由が先生の字でていねいに記されています。子どもたちに返される答案は、いつもそんな考えるための三角でいっぱいなのでした。
「よい三角か。なるほど、わたしは一万個ぐらいは三角をつけたかもね」
 顔をあげると、ガラス窓にのこった指のあとが目にはいりました。さっき自分で書いたものです。
 しかく。しかく。まる。
 三角がないことにさっきの訪問者が気づいていたら、ちょっとがっかりしたかなあと考えながら、ガラスにむかってふうっと息をふきかけると、三角をひとつ書きたしました。
 分校の子どもたちに三角先生と呼ばれていることを、まだみえこ先生は知らないようです。
(おしまい)



(市原 千尋「三角からのお使い」2006.11)