小田原から始発電車を乗り継ぎ沼津駅へ。さて今日は沼津から走りはじめる。
●沼津宿(東海道五十三次 歌川広重)
清流狩川の河岸の道は今も健在。でもどぶ川なみ。
南口から狩野川沿いに出て、永代橋のたもとから西進。国道1号と海岸通りにはさまれた狭い生活道が旧東海道である。
歩道はどぶ板の上。人がすれ違うのがやっとで、交通量も多く、苦行の走りが15kmにわたってつづく。
ちょうど僕が走った時間帯は小学生の通学時間とかさなっていて、行く手を阻まれ、小学生軍団にまじわって歩く。これも旅。
往年はつねに富士が右手にお伴してくれたのだろうが、今は建物と建物のあいだから時折のぞくぐらい。しかも微妙に大気に薄もやがかかっていて、富士山はまるで見えない。富士山が見えなければ、まったくもって意味のないルート。ただひたすら住宅街の生活道のどぶ板の上を走る苦行。
海岸に出れば気持ちのいい千本松原のサイクリングロードがあるので、こちらの方を走りたいものだが、東海道ルートから微妙にはずれている。でもかまわないだろう。昔の人だって、歩くのに飽きたら、ときどき海岸に出て一服したりしていたんだろうし。
●駿河湾のサイクリングロード。砂もなくロードレーサーでも走りやすいそうだ。サイクリングロード下にはクルマも駐車できそうである。
●望嶽(ぼうがく)の碑・・東海道中、富士山がもっとも美しい場所として知られた地に碑が建っているが、なぜか視野の真ん中に国旗掲揚ポールが邪魔する立地になっている。
●有名な富士川の戦いで、水鳥の羽音に驚いた平家が敗走したという史実は、じつは富士川ではなく、このどぶ川の付近でのことだったという。このあたりは今では往時を偲ぶ片鱗もないが、一面の湿地帯であったという。
吉原宿からは海沿いをいったん離れ、巨大煙突と工場の林立する市街地ランとなる。
空気も悪く、大型トラックに轢かれる前に早く脱出したい区間だが、ここは広重も描いた「左富士」の名所があり、見逃せない。
東海道を西進していると、ずっと右手に富士山が見えるはずなのだが、一ヶ所だけ左側に富士山が見えるポイントがあるのだ。そういえば新幹線でも同じく数秒間だけ左側に富士山が見える区間がある。そちらは静岡市の先だけれども。
●左富士。せっかくの左富士も工場の屋根の上に、ちらっと見えるだけ。
この日は富士駅までの26km。
一眼レフやら機材を背負っていったせいで肩が痛い。
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