岡崎から名古屋を抜け、伊勢路(三重県)の桑名までのおよそ65kmは、ほとんどが市街地。クルマにもまれながらのハードな行程。
旧街道は道幅が狭いのに、抜け道としてスピードを緩めないクルマも多く、歩き旅人にとっては江戸時代以上に命がけかも。
大井川越えからチャリで伴走してきた妻と娘は、行程がハードに感じてきたのか、ついてきてくれなくなりました。
さて、ひとり身軽に、といきたいところですが、実際には一眼レフを含めた機材や食糧をひとりで背負って走らねばならないので、かなり身重です。
岡崎を出ると、八丁味噌の蔵が並ぶ通り。
しばらく国道1号で排気ガスにもまれ、尾崎東交差点でやっと旧道への分岐。左が国道、右が旧道。
明治川神社と、松並木。
【39】池鯉鮒(ちりゅう)宿へ(愛知県知立市)
池に鯉に鮒。
なんとも魅力的な響きの宿場ですが、岡崎からはけっこう距離がありました。
広重の絵では、馬がたくさん描かれています。
でも、宿場の名前の「池」と「鯉」と「鮒」はどこに?
いました・・。
鯉です。
歩道脇の小さな流れにいました。
そういえば、「かきつばた」の和歌で有名な場所でもあるんですね。このあたりは。
かろうじてカキツバタが咲いてました。(しおれかけ)
ここはポケットパークになっていて、500mの松並木の中にあります。ポケットパークの前はローソンがあり、休憩にはもってこいです。
【40】鳴海宿へ(名古屋市)
池鯉鮒宿を抜けて、鳴海宿をめざします。国道1号で排気ガスに再びみたびもまれながら、「国指定史跡 阿野一里塚」の大きな看板を目印に脇の旧道に入ります。看板の大きさに対して、実物はあまりにひっそりしていて落差がすごい。しかし、数多く残る一里塚の中でも、道の両側に残っているというのは少ないそうです。
小学校の横に、一本だけ残った「残り松」
桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、歴史を大きく変えることになった場所も、今は住宅地の中の小さな公園。
名鉄線・有松駅近辺で国道1号をはずれ、脇道に入りますが、この一帯はタイムスリップゾーン。
街道情緒たっぷりですが、クルマの交通量が多く、撮影しているとひかれそうです。
古い街並みですが、写真の上を見ると高速道路の高架。
この通りを抜けると、名鉄線の踏み切りを越えていきます。あいかわらず交通量は多く、よたよた走っていると何度もクルマにひっかけられそうになりながら、常夜灯を経て鳴海宿に入りました。
寺の多い町中に、みごとな木。一里塚です。
【41】宮宿へ(名古屋市)
宮宿は、ずばり名古屋中心街。熱田神宮の門前町です。
門前町の中心、伝馬町。
東海道はここでいったん終わり、宮の渡しから桑名まで七里の船旅となります。
さて、東海道完全制覇のためには、船旅区間をどうしましょう。
単調そうではありますが陸路・国道1号線で名古屋を抜けることにしました。
ひたすら忍耐の25km区間です。
木曽川を渡ります。
長島を経て三重県に入りました。
いよいよ次回は伊勢路です。
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