エボルタくんが東海道五十三次を60日間で駆け抜け、京都三条大橋にみごとゴールした翌日、足かけ3年の歳月をかけて走ってきた市原隊がひっそりとゴールした。
最終日の行程はともに大津宿から京都三条大橋までの12km。
悪天候をおして進んだエボルタ隊に対して、晴天を待って出発したのが市原隊の大きな敗因だった。
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紅葉に染まった大津宿を出発すると、国道161号から国道1号へと合流しながら山をのぼっていきます。この山こそ、旅立ちの代名詞「逢坂の関」です。
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関 蝉丸
蝉丸をまつった蝉丸神社は逢坂の関の近くに上社と下社が国道沿いにあります。
これが下社。
そしてこれが上社。
常夜灯。
山にはさまれて国道と高速道路、鉄道がひとつに集まってきます。この坂をのぼりつめたところが逢坂の関。
この日は足の調子がわるく、五十三次の旅ではじめて妻子の先行を許してしまいました。ところが何も考えていない妻と娘は逢坂の関を越えて、ずんずん山を下っていくではありませんか。
追いついて呼びもどさねばなりませんが、膝が痛くて思うように走れません。携帯電話で呼ぼうかと思いましたが、ランニングのときは気づかないことが多いし、やむなく走れるところまで走り、声のかぎりに叫びつづけます。
こんなに聞こえないものか、と思うぐらい、彼女らは気づいてくれません。クルマも自転車も交通量の多い場所だけに、絶叫する男を不審げに眺めていきます。
やっと娘の名を呼ぶと気づいてくれました。なんか後ろの方で叫んでいる人がいるなあとは思ったけど、と、ふたり。
あとから気づいたのですが、逢坂の関で京都の方角にむかって「おかあさーん!」と絶叫する男というのも、どこか太古のロマンな光景なのでした。
山をくだり、追分を越えてから国道とは別れ、旧街道を進みます。
こんな感じの落ち着いた商店街。横にはずっと京阪電車が走っています。
JRのガード下を抜けるあたりから迷いやすいルート。まずこのトンネルを確実に抜けること。
トンネルを抜けたら、左に曲がる細道に進むこと。現地の案内板がないので、かなり難易度が高いのですが、京都にむけて最後の山越えをする雰囲気のいい道ですので、はずせません。
九条山を越えると県道と合流。坂を下っていくと、京都の町が眼前にひろがってきます。
京都の市街地を最後のスパート。さすがに一歩一歩ごとに、背中が粟立ってきます。これが感慨というものでしょうか。ここのところ、いろいろとリタイヤが多かっただけに、忘れかけていた達成感がわきあがってきます。これが麻薬みたいなもので危険。
しかしなかなか「大橋」が出てきそうな雰囲気になりません。
そのとき、とつぜん「あの看板は!?」
三条大橋と書いてあります!
いきなり三条大橋は現れました。
弥次さん喜多さんが橋の起点にいました。
三条大橋をふたたび見やります。
2010年11月23日、エボルタくんのゴールから遅れること1日。
足かけ三年にわたって五十三次を過ぎてきた、私のバトルツアーがおわりました。
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