電車のなかで9時間、情報隔絶

仕事の打合せで東京に向かっていたときだった。
特急電車が県境を越え、最初の町田駅のホームに入って減速していたとき、妙な振動があった。ブレーキのミスだと思った。後ろの席から、運転手さん下手だね、と言う声が聞こえた。僕もそう思った。
窓の外の景色が止まった。振動はやまなかった。
だれかが「地震?」といって、ようやく気づいた。車内だと、その程度の揺れにしか感じなかった。
大地震だと思った者はなく、そのうち動くだろうという雰囲気があった。しかし、このとき町田ではスーパーのスロープが崩れてクルマの女性が下敷きになって亡くなっている。
駅に到着したあとだったので、ドアは開かれていた。開放された改札を抜けて外に出てみたら、人があふれ、店がすべて閉店されていて、事態の深刻さを知った。
携帯やワンセグなどしばらく不通だったので、情報は車内放送しかなかった。世間と情報隔絶された車内は、のんびりした雰囲気だった。駅の外のトイレ前が大行列になっているのに、車内のトイレに人は並んでおらず、外では食料を買えなかったのに、車内の売店では食料も飲み物も豊富にあった。食料と飲み物を確保しておこうという雰囲気は車内にはなかった。
僕もとりあえず東京に行けば、なんとか打ち合わせできるだろうと思っていた。しかし連絡をとろうにも、電話が通じたのは4時間たってからだった。妻や友人からのメールや電話で、観測史上最大の地震だったことを知って驚いた。東北が震源だったこともそのとき聞いた。
夜になっても電車は動かなかった。JRは全線で運行休止を決定した。
朝まで動けないことを覚悟していたが、深夜零時、9時間ぶりに電車は動きはじめた。
じっとしたのに、なぜかとても疲れていた。
家にもどってから眠りつづけた。