私はいつも最初にスポーツ欄を開く

私はいつも最初にスポーツ欄を開く。そこには人類が達成したことが記録されている。第一面は人間のしでかした失敗ばかりだ。
(ウォーレン『名言の森』)

第三面は、小説より奇なり。

中高年って笑顔がきれいで、かわいいですよね。一生懸命、残った時間を生きていて、肌のお手入れやダイエットとか、現状維持にすべてをかけている。あきらめてはやり直して、ブレーキかけたりアクセル踏んだり。男もそう。お酒をやめたり、また飲んだり。
綾小路きみまろ

ブレーキとアクセルを踏み間違えたり。

人生とは勝ち負けではなく、味わい尽くすこと
明川哲也・創作家)

負けを味わい尽せるようになったら、そうとう上級者。

偉大なるファラオの墓に触れた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう。
(エジプト王墓に記された呪いの言葉)

言いたいことは「立入禁止」。しかし何とも迫力がある。
こんな看板があったら、入る勇気ある?
「この土地は社有地です。偉大な社長の土地に踏み入った者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるでしょう」

イジメとは抵抗できない誰かを大勢でたたくこと。孤立する誰かをさらに追い詰めること。ならば気づかねばならない。日本社会全体がそうなりかけている。この背景には厳罰化の流れがある。つまり善悪二元化だ。だから自分たちは正義となる。
森達也

二者択一の流れは、小泉首相あたりから強まったような。勝者と敗者。富と貧困。日本で多数を占めていた中間はどこへ?

悪い出来事もなかなか手放せないのならずっと抱えていればいいんです。そうすれば、オセロの駒がひっくり返るように反転するときがきますよ。
(窪美澄「花粉・受粉」)

良い出来事はさっさと手放さないと、オセロの駒がひっくり返るように反転します。

機械は正確ではあるのですが、選手と審判の信頼関係によって成立するという本来のスポーツの姿は、そこにはありません。今大会も様々な競技で微妙な判定が話題になっています。しかしミスに不寛容な社会の中でせめてスポーツにぐらいミスを許したっていい。
(杉山茂 スポーツプロデューサー)

寛容であること。現代世界の共通課題である。ロンドンオリンピックで考える。

いまね、ババアというのは90歳以上の人が多いよ。それだけの貫禄とね、社会的地位があるね。70代、80代はババアじゃないね。まだ十分な魅力がない。円熟してないよ。俺がいうババアってのはね、尊称なんだよ。
毒蝮三太夫

社会的地位がないとババアになれないのかな。純粋なババア愛ではなく、媚びがある。

人間の欲望に最適化された消費社会の究極形たるフラットなモール空間と、はるか縄文期にさかのぼるアニミズム的な自然観さえ感じさせる人工の大樹という互いに相いれないはずの要素が、「広さ」と「高さ」の緊張の中に共存している構図には、21世紀の文明を駆動する新たな葛藤軸が示されている。
(中川大地)

東京スカイツリーに、ここまで意義付けをできるのはすごい。

ももいろクローバーのライブは作り物めいた世界だが)・・「仕組まれたフェイク(虚構)を全力でこなすことで、虚実を逆転させ、リアリティーを獲得する」
室井尚横浜国立大学教授)

映画「スマグラー」のクライマックスにおける「転換点」もこれだった。「本気の嘘を真実に変えてみろ」という言葉が、閉塞事態を劇的に打開する。

人間、逃げ道を作ったら必ず逃げるわ。リスクなんてヘッジせんでええ。
吉田潤喜・会社社長)

リスクをヘッジして、いちばん増えるもの。不安。

いれずみは人間の弱さの象徴。私は、入れてしまった人の側に立ちたい。
(小野友道・医学博士)

大阪市の職員に対する入れ墨禁止。弱さを認めぬ裸の王の弱さ。

死ねない存在が最後に見たいと語るのは、ただの死ではなく『一生を終える夢』。その台詞が美しく響くなら成功かな、と思います。
木皿泉

不死のドラキュラの若者をめぐる青春ストーリーという脚本を思いついたきっかけについての言葉。死があるから人生は美しいという古来からのテーマの現代的な表現。

デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ。
柄谷行人

震災と原発事故が起こるまで、この国は長らく「人がデモをしない社会」だった。あれ以来、確かに社会は変わった。

(事故原因は)人間のせいにすれば対策は安くなる。
(黒田勲)

なるほど。巷で「人為的ミス」が流行るわけだ。

「誰が社員食堂を運営してる?」といった質問がいかに脅威となるかわかっていない。
(クリス・ハドナギー/ハッカー対策コンサルタント)

そんなこと、ふつう思わないよ〜。すぐれたハッカーとは、心理学の達人でもある。

国益国益というが、やられたらやりかえすという人をこれ以上出さないことが、いちばんの国益、というか世界益だと思う。
(市原千尋

非難の応酬は急ぎ足でエスカレートの道をたどる。感謝の応酬は、次第に収束していくというのに。

花を切り、命を奪って始まるのが華道。たくさんの命が奪われた(東日本大震災の)直後には受け入れてもらえない。
(前野博紀・華道家)

命を奪わずに始まるものが、あるのだろうか。

語り部、伝え手を連れ去る歳月は、非情にして優しく、滴るばかりの悲しみをセピア色に染めてゆく。しかし私たちが時の癒やしに甘えては、平和を知らずに息絶えた人に顔向けできない。
(朝日新聞・天声人語12/8/15)

名文。