竹とんぼとブラックバス

 小田原には竹とんぼづくりの名人という人が住んでいて、夏休みを迎える小学生ひとりひとりに、手作りの竹とんぼをくれた。
 ぜんぶ竹でできているのに精度が高く、気持ちいいぐらい高く飛ぶ。
 広いところでやりたくなって、娘と小田原城内に行った。城内といっても、通っている小学校の隣なので歩いて数分であるが、外堀の橋を渡らなければならないので、あまりふだんは通らない場所である。
 小さな内堀があって、そっちに竹とんぼが飛んでいってしまわないように注意していたら、水面近くに数尾の魚がゆらゆらしているのが見えた。25〜30センチと小ぶりながら黒いラインが入った魚体が10尾弱・・いつも見かけるのんきな鯉や鮒たちとはちがって、どこか悪巧みをしながらたまっているストリートギャング然とした雰囲気に、背筋がゾクっとした。
ブラックバスじゃん、あれ?」
「えー? ブラックバス? ちがうよ」
 そう言う娘にとって、ブラックバスは遠くに釣りに行って、一年に一回ぐらい釣れるか釣れないかのイメージだ。こんな身近にいることが信じられないのも無理はないし、僕だって同じだ。じゃあボラか? でも堀にいるボラっていうのも、めずらしいなと思っていたら、折よく、手負いのようにひらひらと一尾の小魚がギャング団のそばを通りかかった。
 と、群れのうちの2尾がロケットのような瞬発力で襲いかかり、小魚も銀色の体側を閃かせて空中に踊り出ながら逃げた。あまりの迫力に呆然と見入っていた。魚が逃げきれたのか、胃袋に収まったのか見届けることはできなかったが、
「見た? やっぱりバスだ」
「うん」
 内堀を端まで歩いてみると、他にも十尾ぐらいの浮いている群れがもうひとつと、単独で泳ぐやや大きめのバスも2回見た。
 夜、地元の不動産屋の人から電話があったので、内堀のバスのことを言ってみた。彼は生まれも育ちも小田原で、しかも釣り友でもある。堀のバスは知らないという。
「ぜんぜんスレてないよ。誰も釣りしてないし。ミノーでも入れたら、即、襲いかかってきそうな感じだった」
 と僕が興奮を隠せず言うと、
「でもお堀で釣りしたら怒られますよ」
 でも、近くにこんな宝が眠っている。みすみす・・。
「夏休みの自由研究ってことで、だめかなあ」
「なんです? それ?」
「駆除ですよ」
 害魚指定されているブラックバス。まず娘といっしょに禁止区域で未明にスリリングな闇釣りをして、ブラックバスを入手。娘はそれをスケッチし観察レポートを書く。さらに小学校の先生に実物を持っていって報告。しかしたぶんすぐには駆除のために動いてくれないだろうから、市役所に娘自身で働きかけさせてみる。同時にブラックバスの生態や、日本に移入されたいきさつ、その後の繁殖の実態などの歴史を調べる。市役所が何らかの動きを見せてくれなければ、釣りをして駆除します、という提案をぶつけてみる。認可がおりなければ、なぜダメなのか徹底的に訊ねてみる。そんなやりとりをしていれば、日本の構造の何たるかが、ちょっと見えてくるかな・・許可がおりたらおりたで堂々と釣り三昧。
「いやあ、じつに壮大な自由研究ではあると思いますけど、やっぱ釣りしたら怒られますよ」と不動産屋。
 本当の動機が釣りをしたいという不純なものであるので、娘の自由研究をダシにするのも、言いようもなく後ろめたい。それに駆除というからには釣った魚は確実に殺さなければならない。娘に、おまえ殺せるか? と訊いたら、ムリ、と首を振った。僕も。これでは駆除にならぬ。
 しかしなお、あの小魚に襲いかかるブラックバスの姿が脳裏を離れず、「小田原城 お堀 ブラックバス」の3語でインターネット検索をしてみると、なんということはない、すでに10年も前からお堀のブラックバスは問題になっていたことが分かった。しかも、2000年の市の広報誌に次のような記事があった。
 市の許可を得たバスプロ3名がお堀にボートを浮かべ、いっきに83尾を釣り上げた。釣ったバスは芦ノ湖漁協の協力で生きたまま芦ノ湖へ放流した。(芦ノ湖ブラックバスが日本で最初に移入された場所で、現在でもブラックバス公認の数少ない場所である)
 とりあえず、先例があったということで、ようやく熱がさめた。