泥酔して東京の路上で眠ったあげく、警察署で目覚めてからちょうど24時間後、私はマラソン大会に出るために、つくばエクスプレスの南流山駅をめざして歩いていた。
いや、正確には出場する「ふり」をしようとしていたのだった。来なくていいと念を押したのに、妻と娘が応援のために来てしまったため、ごまかしがきかなくなったのである。前夜、携帯電話のバッテリーが切れたのをいいことに、目覚ましアラームが鳴らなくて寝坊、というシナリオを描いてひとりほくそえんでいたが、家族によって電車の時間にたたき起こされた。
路上睡眠で風邪をひいたらしく、頭が重い。旅行かばんがずしりと重いのは、吐瀉物の付着した礼服と革靴が入っているからである。
筑波行きの路線は、1万人を集める巨大マラソン大会のために臨時列車を大幅増便していたが、それでも車内は明らかにそれと分かるかっこうの長距離走者でひしめいていた。
「おとうさんだけ、なんかちがう人がいるって感じ」
と妻が言った。
旅行かばんを持ち、ジーンズにハーフコートで突っ立っているのは私ぐらいのものだった。しかも吐瀉物つきの礼服と革靴を持っている男は、少なくとも他には見あたらなそうだった。どこから見ても、旅行中の顔色の悪いおっさんであった。
駅に着くとランナーたちはいっせいに同じ方向にあふれ出し、臨時シャトルバス乗り場の前の長い列に加わっていった。
気分がすぐれなかったこともあり、貧血持ちの私はすし詰めのバスに乗れる自信もなく、どうしたものかと気弱に煙草を吸っていると、列の中から私の名前を呼ぶ者がいる。
ロケッツメンバーの二氏であった。
朋輩に見つかってしまった以上、このまま電車に乗って引き返すという選択肢も消え、けっきょく私と妻子はタクシーに乗って会場をめざした。
会場でゼッケンをもらうと、いよいよ後に引けなくなった。
まわりの人たちは、サプリメントや体力増強剤を飲んだり身につけたりして準備している。
旅行かばんを開けてみたが、サプリメントや補給食類は何も入っていなかった。自分だけ持っていないと、なんとなく不安な気になり、サプリメントのかわりに煙草を吸った。
いよいよスタートの時間が近づいてきたので、心拍計測のチェストバンドと、ペースを計測するシューズセンサーを装着した。そしてそれらのデータを表示する腕時計をつけようと思ったら、かばんの中に見あたらない。どこを探してもなかった。信じられぬことに私はそれを家に忘れてきたのだった。
スタート地点に向かったが、トイレの前には長蛇の列ができていて、これもあきらめねばならなかった。
スタートライン前方から、招待選手や実業団など2ケタゼッケンの選手、過去に好成績を残した3ケタゼッケンが並び、それにつづく予想タイム3時間以内のゾーン後方に私は立っていた。自己申告でサバを読んだ。
周囲の自称サブスリーランナーたちはさすがに熱気があった。
妻と娘が、「おとうさん、また浮いてる」と言った。超然としている、とのことだった。
そう、実際、私は完全に消沈していたのだった。
遠くでスタートの合図が聞こえた。のろのろと動きだす集団。
スタートラインを切っても、集団の速度は上がらない。人が多すぎてまったく身動きがとれない。
肘がぶつかる。肩がぶつかる。
みな黙々と人間ベルトコンベアーになって進む。
私の前におよそ1500人から2000人の人がいるはずだった。
5km地点を過ぎても、のろのろの渋滞は解消しない。
腕時計がないのでペースが分からない私はにわかに不安になった。ほんとうに自分の周囲はサブスリーランナーたちなのか?
10kmを越えても自由に走れる状態ではなかった。困ったことに先ほどから股間がすれて痛くなってきた。スタート前にトイレに行けなかったため尿意も圧を増している。
たまらずコースアウト。スパッツをおろそうとしたら、不覚にも腰ひもを固く締める方に引っぱってしまって、ほどけない。ようやく解錠に成功すると、股が赤くなっていた。
本体に合流後、少しペースを上げてみると、ほどなく離脱前と同じ顔ぶれに追いついた。
私は不審に思った。
腕時計がないためペースが分からないまま集団の流れに身を任せて走ってきたが、じつのところ、腕時計があったら鬱になってしまうほど遅いペースなのではないかと。
呼吸が荒くなるランナーたちが増えてきた。
もう間違いない。3時間切りなどやる気もないサバ読みが1000人ばかりいるのだ。と言いつつ私もサバ読みである。
単体で脱落してくれるならいいものの、たいていその周辺の数人を巻きこみながら、長い時間をかけてじりじりとペースダウンするパターンが多い。これを後ろから抜いていこうとする者が右から左から飛びだしてくるので、私はといえば、あわわわと右往左往するばかり。うまくかきわけて前に出ることができないままペースダウンする群れに巻きこまれてしまうようなことをくり返した。
25kmの折り返し地点までそんな状態がつづいた。
その後はやっと集団もばらけてきて走りやすくなり、ペースを上げることができた。
33kmあたりでシフトチェンジを狙ったが、半年前の初フルマラソンにおいてシフトチェンジ後の大幅な失速を喫していたから、少し慎重になりすぎたようである。
けっきょく41kmまで守り姿勢を突破することができないまま、残り1kmでようやくスパートをかけた。
初マラソンのときは終盤は抜かれてばかりだったが、今回はウルトラ・リベンジのごぼう抜きパレードである。
沿道に妻子の姿をめざとく見つけ、カラテチョップばりに両手を大きく激しくピストンさせて空気を切り裂きながら、快心の笑みをもらし、フィニッシュゲートを擁する陸上競技場のトラックに飛び込んだ。
初マラソンにおいて涙が止まらなかったのとまったく同じ状況において、今回はなぜだか哄笑が止まらなくなっていた。あとから妻子が言うところでは、スピードもさることながら、あまりに狂気めいた姿で他を圧していたそうだ。
残り200m。
さらに加速をつけていったとき、前方を走っていたランナーが両手を空高く上げるのが見えた。天を仰ぐようにゆらりとよろめいて、足を泳がせた。
スローモーションで踊っているように見えた。
スピードに麻痺した私の視覚と脳神経は「あらら」という感嘆符的な反応のみで、全速で回転している足を制動する術を持っていないようだった。
「あぶない!」という観客の叫び声に直接反応したのは体の方だった。重心を右にかけて進路をずらし、わずかに左をかすめて衝突を回避した。足の回転はむしろ加速していた。
ゴールゲートを抜けたあとも足は止まらず、あっけにとられる家族をその場に残し、芝生のグラウンドを横切って走りつづけた。スタンド裏でようやく足が止まり、物陰で救急車の音を聞きながら煙草を吸った。
家族が追いついてきて言った。
「あの人、意識がなかったって」
しかし私は次のマラソンに出ることを考えていた。
なるべく人数の少ない大会を探すこと、30km以降の筋力を強化すること、そして3時間を切ることについて。