疑惑のタタリ神(アストロマン参戦レポート)

 今、わが家では厳しい疑惑の目が私に向けられています。
 一家総出でのぞんだ佐渡国際トライアスロン。ラン3km地点で早々にリタイヤしたのですが、大会翌朝、帰途フェリーの階段をぴょんぴょんと駆けあがったとき、最初の疑惑の目がそそがれていることに気づきました。ちょっと後ろめたい気もして、びっこをひくふりをしました。
 さらに翌日、家族の前で、つい、足をぶらぶらさせながら、
「筋肉痛、きませんなあ〜」
 四十を越えたので、筋肉通は遅れてやってくるのかなあ、という、せつないぼやきだったのですが、すでにそのとき、妻と娘の突き刺さるような視線が。


 もちろん私だって嬉々としてリタイヤしたわけではありません。
 ただ、予想外の好位置でレース展開していただけに、家族には無念も大きかったようです。また、制限時間を7時間も残してリタイヤし、翌日もしゃきしゃき歩いていたので、「また、おとーさん、サボった?」という疑惑を芽生えさせたのかもしれません。
 故障といっても、松葉杖をついているわけでもなく、点滴をがらがら引いているわけでもないので、偽装では? という気持ちも分からずはありません。確かにびっこは偽装でしたが、それは愛ゆえの行為です。
 故障を抱えているときは、決断は早ければ早いほどいいと思っています。無理をして、半年、一年を棒にふる姿を多く見てきました。四十を越えると、一年、一ヶ月、一日が、かけがえなく思えてきます。無理をしなければ、またチャンスはやってくる。中年の生き残る術(すべ)です。
 ただ、今回については、故障という直接原因以外のところで、責められてもしかたのない、想定外の敗因があったことも事実です。

       *

 体調管理の失敗は、まあ、想定内といっていいでしょう。
 これまでは酒によるものが大きかったのですが、さすがに三八ぐらいからでしょうか、お酒に無理がきかなくなってきましたので、大会前夜はあまり飲まなくなった、というか、飲めなくなっていました。
 もともと私は自分の家以外で眠れない体質なのに、フェリーの故障の影響でぴったりの渡航予約がとれず、結果、五泊六日の旅になってしまいました。
 島に上陸してからは、睡眠リズムを整えようと無理して毎朝3時に起きたので、かえって寝不足が蓄積していきました。昼寝をする時間はあったはずなのですが、夜眠れなくなると困るので、うたた寝は完全封印。火曜夜は徹夜でクルマで走らせてきましたし、水曜4時間、木曜5時間という睡眠時間になってしまったので、とれるところで遠慮なく睡眠をとっておくべきでした。これは今後に生かそうと思います。


 大会前夜は2時間程度の睡眠。
 午前1時からは蚊の執拗な攻撃にあって、まったく眠れず、そのまま出発時間を迎えて会場へ。
 あたまがふらふらでしたが、これがかえってよかった面もあります。
 スイムスタートまで気分が悪くて浜辺にすわりこんでました。
 スタートものんびり。ひとかきひとかきをていねいに泳ぐようにしていたら、かえって泳ぎとしてはよかったようです。
 ラスト1.5kmのブイをまわってからは、ゴールゲートにむかってまっすぐ泳ぐのですが、ちょうどのぼりはじめた太陽が真正面に相対するため、行き先がとらえにくく、またコースロープが湾曲していたのか、多くの人が方角を見失なって、いくつもの小さな集団がてんでばらばらの方角に進んでいました。
 ここでスイムに苦手意識をもっている私にとって、人生初の画期的な判断にでました。完全単独泳をきめこみ、自分の目だけを信じて進みました。途中から私の後ろに人が何人もくっついてきましたが、おそらく私の泳ぎがわりと正確で安定していたということだったのかなと思います。
 いつもスイムは苦しくて、長くて、いやでしかたがなかったのですが、魚を見たり、景色を見たり、楽しんでいるうちにスイムゴールが近づいてきて、最後はバタフライで上陸したぐらいです。
 7月に開催された熱海オープンウォータースイム大会では、3kmを泳ぐのに1時間20分以上かかっていたのに、今回は800m長い3.8kmで1時間10分を切っていたので、無駄のない泳ぎができたのだと思います。体調がいいときは、こうはいかないのが不思議なところです。


 バイクはどこまで自分を抑えるかの勝負だと、神奈川の強豪トライアスリートのカガミさんに教えられ、抜かれようが何しようが、とにかく自重自重。
 われながら大人になったなあと、ペース管理・補給ともに、よくできていると思っていました。
 85kmを越えたあたりからは前にも後ろにも人のいない安定状態に入り、7位のポジションにいた選手とふたりきりの旅がつづきます。
 安定状態が長くつづきました。淡々と走っていると、やはり波のようなものがあって、ときどき勢いでこの選手を抜きたくなってしまいます。しかし、カガミさんにおしえられた「抑制」の言葉を守りきるべく、じっと、じっと自重です。
 しかし、おかげで疲労感もなく、ペース管理はばっちりと思っていました。
 ほぼ中間地点の両津では家族が待っているはずです。
 ヒトケタで通過する私を見て、どれほど感激するでしょうか。いや、すでに私自身、モーレツにカンゲキです。
 沿道の応援が濃くなります。わきあがるような歓声が、サラウンドのように私と自転車を包みます。
 うわぁ〜、やっぱ国際大会の上位って、カッコええなあ〜と、鳥肌なのか武者震いなのかゾクゾクしてきました。
 家族の前で、猛烈なスピードを披瀝してサービスしようと、ここばかりはカッコつけて踏み込んでしまいました。
 前の選手も抜かされないようにしているわけではなさそうですが、やはりすごい踏み込み。人間、たいがい同じなのでしょう。カーブで曲がりきれずに人垣に突っ込むとこでした。
 やがて次第に人が減って、ふたたび淡々としたふたり旅。
 あれ、家族は?
 渡した通過予測タイムスケジュールよりも45分も早くに両津抜けしたせいで、行き違いになったのか心配になりました。このあと、タイムスケジュールを片手に、来るはずのない私をずっと待っていたら気の毒です。


 100kmを越えて、かねての計画どおりリミッター解除の指令を足に対して発令したのですが、あれれ、ペースがずるずる落ちていきます。
 なんだかよく分かりませんが、まあここはムリをせず余力はランに、なんてまだクールでタフなガイのつもりでいたのですが、とんでもない勘違いでした。自分の感覚とはまったく別なところで、すでにオーバーペースだったようです。
 ずるずると7位の選手に引きはなされ、さらにぽつり、ぽつりと三人の選手に抜かれて10位以下に。
 ああ、この先で待っているはずの家族にいいところを見せようと思ったのに。


 さらに事態は急転直下で悪化。
 160km地点の小木港を過ぎたところで、右膝が完売となりました。
 私の右膝は、よく売り切れになります。98年の越後くびきの100kmマラソンを序盤早々にリタイヤしたのも、原因は右膝の早々たる店仕舞のせい。少し鍛錬がゆるむと、ランではすぐに右膝からおばちゃんが出てきて、のれんを仕舞いはじめるのです。
 しかし、ランではそうであっても、ここ四、五年の記憶なかでチャリ漕ぎ中におばちゃんが出てくることはなかったので、すっかり油断していました。
 やむなく佐渡名物の小木の長い登坂に、左足だけで挑む羽目となりました。
 しかし応援バスに乗ってきた家族がここで待っているはず。
 沿道に人の姿が見えるたびに、鬼の形相の立ち漕ぎ。
 人姿が消えると、片足漕ぎ。
 また人が見えて立ち漕ぎ。
 ・・何をしているのでしょう、私は。
 そんなことをくり返しているうちに、ひとり、ふたりと抜かれていきます。
 妻と娘の姿はいっこうに現れません。
 下りや平坦路では左足だけでもある程度のペースは維持できましたし、そうやって早めに少し休めてやれば痛みも和らいでくることは、長いつきあいのなかで分かっていました。ただ、無理をするとスリーアウトでゲームオーバーになることも分かっていたので、ツーアウト、あるいはワンアウトの状態でどこまで引っぱれるかです。
 しかしその後もつづくアップダウン。登り坂ごとに左足だけで漕ぐ負担は大きく、自転車を降りて押すほうがいいか悩みました。
 誰かに抜かれるたびに、やめておけばいいのに無理して漕ぐことになり・・しだいに精神的に追い込まれていったのか、気をつけていたはずの補給管理がおろそかになってしまいました。ウォーターステーションを素通りしたり、補給食を食べずに無精したり。
 時刻は正午過ぎ。太陽は真上から猛烈な熱線を注ぎこんでいます。熱中症は必然的な結果でした。


 170kmを越えてからは、前傾姿勢をとると吐きそうになってしまうので、体を立ててサイクリングペースでかろうじて走ります。
 もう食料はおろか、水も受け付けません。
「最終エイドステーション」の文字が見えましたが、心の余裕がなく素通りしてしまいました。通過してから、ああ・・やばかったかなあ・・。
 バイク最終盤でリタイヤ・・の文字が、あたまのなかでネオンサインのように明滅しはじめました。
 180kmを越えてからの、残りの10kmは、膝の痛みと吐き気、そしてここでリタイヤになってしまうのではないかという恐怖とで、1km、1kmがまるで一本一本の深い傷をからだに刻まれているかのような、長い、とてつもなく長い10kmでした。
 かろうじてバイクゴール。
 やっと家族がいました。
 ときすでに遅し。
 トランジションを経て、ランスタートのゲートを15位通過したものの、トイレ横の木陰ですわりこんでしまいました。
 あとは制限時間まで8時間半・・42kmを「歩」いていけばいいはずだったのですが、もともといちばんの心配材料だった左足指の疲労骨折痕がすでに早期開店、痛みで歩くのもままならずです。


「とりあえず、行けるとこまで行ってみるわ」
 歩いては休み、休んでは歩いてをくり返しているうちに体調の方はすこし快復してきたものの、足の故障は悪化の一途で、3km地点の最初のウォーターステーションまで1時間近くかかってしまいました。
 制限時間まで7時間を残していましたが、午後2時、救護所で横になっていたエリートエイジのオーラ漂う選手がリタイヤ申請をしたとき、思わず「あ、ぼくも」と挙手してしまいました。


 アストロマンの壁は、厚く、遠いものでした。
 でも、正直に言うと、ほんとうの壁は、自分の中の欲だったように思います。
 故障や弱点のことは事前にじゅうぶん分かっていたことですし、そのための対策やタイムスケジュールも準備し、ランにおいて不可避である故障の再発をできるだけ遅らせるのが至上命題だったにもかかわらず、予想だにしなかった伏兵・・せっかく転がりこんだ上位を守りたい、という欲が、多くを狂わせてしまったのでした。


 無欲でのぞんだスイムで思わぬ好結果がでてしまい、皮肉なことにそれが欲をうみだし、自制しているつもりがまったく自制になっておらず、さらに欲を増殖させて自制のめがねをますます曇らす。
 180kmから先、ゴールの佐和田の集落に突き進んでいく私の自転車は、ほとんどタタリ神のごとき様相を帯びていたことでしょう。
 欲に目を塞がれ、おのれを忘れ荒ぶる魂の哀しき姿。


 ロングディスタンス・トライアスロンは二回目の経験でしたが、完走した初めてのときより学ぶことは多かったように思います。
 早期リタイヤでしたが、そのおかげか、心も体も折れていません。アストロマンはのんびりしていて、とてもいい大会でした。またいつか挑戦してみたいと思っています。次は、欲に負けず自分のレースに専心できるか楽しみです。

●関連ブログ
DHstyle・・本文中に登場する「カガミさん」ことkagamiさんのブログ。


ビバ! トライアスロン・・本文中に登場する「救護所で横になっていたエリートエイジのオーラ漂う選手」こと、もりりんさんのブログ。


●関連動画「アストロマン2010参戦記」(9分40秒)
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