訓練ぐらいにしとけ

「訓練」「演習」という言葉が連日、新聞の一面を飾っている。
 避難訓練。小学校のときは、こんな訓練、意味あんのかと思った。それ以来、訓練という言葉をどこか馬鹿にしている。
 高校英語総合演習。演習は私にとっては、ちょっと難しい問題集のタイトルのイメージ。なので訓練よりは重いが、受験がおわれば目にしない言葉になった。
 北朝鮮をめぐる昨今の国連安保理と関係国の動きを見てると、「訓練」というものが、なんかこの言葉でいいのかと思うときがある。「訓練」という軽い言葉だけど、ほとんど交戦ぎりぎりの意味なんじゃあないか。てゆうか交戦してるし。
 そう考えると、朝鮮や中国だけの問題じゃなくて、身のまわりの生活も、いつのまにかこういうふうになってきてるのかもしれないと思った。ほんとはきわきわなのにリアルさをカムフラージュしているような。


赤提灯の下、ふたりの会社勤めふうの男が、酔っているのだろう、肩を寄せあうようにすわっている。
「いよいよおれもさあ、演習突入かなあ」
「そりゃまずいだろう。相手、刺激するだけだわ」
「それがさあ、むこうはもうはじめちゃってるし」
「うわ」
「実効支配がすごいんだよ。なんか、部屋のあちこちに貼り紙。家まるごと実効支配されそうだから、早いうちにクルマでもおさえとよ思ってるんだけど。とりあえず会社にクルマで行くかな」
「クルマはちょっとリアルじゃないかな。もろダメージがくるからな。せめて訓練ぐらいにしとけ」
「訓練か」
「別んとこ住むとかな」
「別居じゃないか」
「訓練だよ」