決断の朝と、卓上しょうゆ。

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不燃ゴミの日が近づいてくると、悶々とする何日かを過ごす。
受信機側が壊れて無用の長物になってしまったラジコンの送信機、10年前に愛用していたが錆びて動かなくなったリール、長年使ってぼろぼろになったステープル・・一度は思い切って不燃ゴミ箱に入れたものの、一ヶ月に一度の不燃ゴミの収集日までに、愛着を捨てきれずゴミ箱から取り出してしまうものもある。
この朝は、一ヶ月に一度の決断のときなのだ。
今朝はひとしお悩んでいた。というのも長く定番として愛着をもってきた卓上しょうゆのビンがゴミ箱に入っている。家庭をもちはじめたころからだから、二十年近くなるだろうか。
この前の日曜日、妻と娘には卓上しょうゆをキッコーマンの新システムに切り替えることを宣言した。長らく卓上に君臨したビンもついに御役御免。新システムのしょうゆは常温で90日間鮮度が保てる構造で、このシステム自体は1年ほど前から料理用としており、その秀逸さは確認済み。
あとは卓上採用するにはデザインだけの問題だが、新システムにおいても日本酒の生貯蔵酒のひとり飲みビンを思わせる200ml卓上容器をスーパーの棚で見つけ、これはこれでいいかもしれないなと思うようになった。
従来の醤油ビンは夏場など、小バエの醤油漬け状態になったりして、ちょっと困っていた。冷蔵庫に入れればいいだけなのだが、どうも無精で。
そこで先週なかごろから元のしょうゆビンを隠した上で新システムを試験導入。家族の方も違和感は感じなかったようなので、この前の日曜に晴れて切り替えを宣言したわけである。
それでも不燃ゴミ収集の前夜は、ちょっと心に引っかかるものを感じつつゴミの袋を閉じた。
翌朝、娘と妻を送り出したあとで新聞を立ち読みしながらコーヒーを飲んでいると、見慣れたしょうゆビンの写真が出ている。
あれ、と思って記事を読むと、1961年にこのビンを考案した工業デザイナーの栄久庵氏が日曜に亡くなったとあった。
ごみ袋から取り戻そうと思ったら、すでに娘がごみ集積場に持っていったあとだった。

KLX125のメンテ乗り

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1〜2週間に1度はアイドリングでエンジンをまわすようにしていたのだが、本日、バッテリーが上がりかけてなかなかエンジンが始動せず。
10kmほど乗って充電。
いつ乗ったかも忘れそうなので、記録しておく。
そういえばオイル交換いつやったっけ。2014年夏ぐらいにやった記憶もあるけど、勘違いだったか。やっぱりちゃんと記録しておかないと。

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モペットの現行車

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モペットって、現行車が入手可能だったんですね。
日本で唯一、モペットを製造販売しているメーカーが横浜に。知らなかった。
しかも、思ったほど高くなかった。


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ブルックスのB135サドル、似合いそうだなあ。
僕の場合、モペット自体が欲しいというより、ブルックスのかっこいいサドルを生かせる「器」としてのモペットが欲しい感じ。


フキプランニングのホームページ


人類最強の走る民族「タラウマラ族」

ランニングシューズは、適切に走るための技術を製品化したものだけど、実際にはシューズのせいで足が何かほかの動きをすることになっている。それが原因でけがをする。このことに気づいて、シューズを脱いだら、足の痛みはさっぱり消えたんだ。マラソンランナーの9割は毎年けがをするのに、超長距離を走るウルトラランナーほど、けがは少ない。必要に迫られて、優しく軽やかに足を運ぶようになるからだ。


(中略)


彼らの伝統的な走り方は、個人ではなく、集団で楽しみながら走る。人類は、集団で狩りをする動物として進化したのに、現代人は、走ることを個人の努力に置き換えて、自分の順位や時間ばかり気にする。だから走ることが苦痛になったんじゃないかな。タラウマラの人たちは、そんな走り方はしない。
(クリストファー・マクドゥーガル・2011/2/7朝日新聞


40歳を越えてから、長らく足の故障に悩まされている。同時多発テロのように次々と故障が起こる。年齢と遺伝子のせいにして、長い距離を走ることをあきらめていたが、それが逆効果かもしれないという可能性に気づかされた。
足を保護するために、いままで使わなかったようなクッション系のシューズを使い、走る距離もおさえていた。が、事態は悪化するばかり。思い切って駅伝用の超薄底ソールのシューズにかえると、よくなってきた。シューズに頼るのではなく、足の運びかたを工夫する。
しかし44歳の今になって思うのは、不自然なことはしないことだ。そもそもにおいて100kmとか100マイル(160km)とか、そんな距離を生物として走らなければならないデザインにはなっていないはずである。ということで長距離ランニングはやめた。ちょっと未練はあったけど、故障が多いということは体がそれを求めていないと解釈した。
いま、裸足で海岸を歩くことを試みている。数分ももたいない。足の裏が石で痛い。足裏マッサージみたいで、これは体にいいんじゃないかと思うようになった。
(2011年2月初出・2014年8月追記)


BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

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