マドカにとってはじめての転校。今日は小田原は2学期の始業式である。
転入生は4人。品川からの兄弟と、地元小田原市内の女の子、そして千葉松戸からのマドカ。ワイフは校門までいっしょに来て、そのままカッコよく新幹線ホームへと行ってしまったので、始業式は俺がつきそった。担任の2年3組、剣持(けんもつ)先生はすらりと長身のなかなかの美女。小田原は剣持という苗字が多い。不動産屋の社長も剣持、コンビニのお姉ちゃんも剣持。城下町の名残か。
さてこの先生、話をしてみても表情が変わらない。フランス系アメリカ人のCIA女スパイみたいである。やわらかな薄物のスカートの下に小口径の拳銃を隠していてもおかしくない。帰りしな、クラスの女の子をつかまえて、先生やさしい? と聞き込みしてみると、微妙な表情でくびをかしげ、「1組の先生はやさしいんだけど」とのこと。やっぱりCIAのようだ。
学校がひけたあと、マドカは自転車、俺はマラソンで昼飯を食いに行く。家から500mほどのところにある、いかにも老舗らしい店構えのだるま屋に入った。鯵(あじ)の寿司は8カンで1600円。真ん中の切れ込みから、しっとりと脂がにじむ肉厚。シビれた。この世でいちばん美味い寿司って、アジなんじゃないかと思った。松戸にいたころは、たまにアジをつまむぐらい。アジの序列はかなり低かったが、不当な扱いであった。
そのまま警察署に行き、免許の住所変更を行なった。裏にスタンプを捺しただけで10分ほどで終わった。
マドカが海に行きたいと言うので、そのまま海辺にでた。小さな公園で高校生男女が箱ブランコをやっていた。松戸では安全上の配慮から箱ブランコは撤廃あるいは動かないように固定されていたので、マドカも大喜び。安全上の配慮か、くそくらえ。
波打ち際でシャボン玉をやった。風にのってテトラポッドの陰に入り込み、ふたりの世界に熱中していた高校生男女がびっくりして飛び出してきた。シャボン玉爆弾。青春か、くそくらえ。
午後4時前、家にもどるとすぐに電話が鳴った。
「あ〜、さゆり〜!」
電話を受けた娘の声がぱっと明るくなった。前の学校の親友が心配してかけてきてくれたのだろう。
「え? なに? さゆり、わかってんの? あそびにくるって、うち、今、おだわらにいるんだよ」
二、三やりとりをしたあと、受話器を片手に、マドカは叫んだ。
「おとーさん、さゆりちゃん、おだわらにきちゃったって!」
歩いて出迎えに行くと、お堀端通りを歩いていたさゆりちゃん父子に会った。そしてなんと、マドカが喉から手がでるほど欲しかったタマゴッチを持ってきてくれた。うちも何度か手にいれようと店に行ってみたのだが、いつも入荷待ちでマドカもがっかりしていただけに、ほんとうにうれしそうだった。
「まさか、これを持ってきてくれるために?」
「いやぁ、たまたまヨーカドーで売ってましてね。会えなかったら、玄関にでも置いてきて、お城でも見物して帰ろうかなと思ってましたから」
って言ったって、始業式の日から気合の入った父娘である。さゆりちゃんのお父さんは俺と同い年で、しかも元Kawasaki乗りの公務員。松戸の小学校に在学中も何度か話をした程度の間柄だったので、かなりサプライズ! 近所の友だちと遊ぶのにもいちいち電話でアポをとる今の小学生の風潮は好きでなかったが、100kmを越えて引っ越していった友だちの家にいきなり行こうという気概は、サプライズを心から愛する俺にとっても、まことサプライズ。最近、ここまでやるかと唸らされたのは、オホーツク紋別の浜っ子ライダー*1以来である。
また、俺が高校生で茨城から松戸に引っ越したとき、ただひとり見送りに来て手を振ってくれた男が、引っ越し先のマンションに着いたときに、「やあ」と言って俺たち一家を出迎えたときのサプライズもまざまざと蘇ってきた。俺も新居に行くのははじめてだったし、やつも知らなかったはずだ。いったいどうやって俺たちより先に着いたのか、答えは簡単で、とりあえず新松戸に行ってみた、とのことだった。引っ越しなんだからトラックがいるはずだ、と、それだけ。今の新松戸なら考えられないことだが、当時はまだそれほど建物も多くなかった。以来、彼とは、自転車18時間耐久旅行や、エキスポ一番乗り自転車ツアーとか、オートバイ関西ツアーとかいろいろやったが、時間を決めた待ち合わせをしたことはない。出会いは偶然に、別れは立ち止まらずをいつも実践してきた。俺たちはサプライズの虜(とりこ)になっていた。彼の乗っていたオートバイが、のちに俺の手に渡り、『最速クズ鉄伝説』*2を生みだした。
サプライズは人生である。
四人はいっしょに小学校を見て、海に行った。浜辺で缶ビールを飲みながら、昔よく伊豆や箱根にオートバイで走りに行った話なんかをした。俺はもっぱら西湘バイパスなので小田原を通ることはほとんどなかったが、彼は仕事が終わったあとに深夜、三京→下道→西伊豆と、よく小田原クランクを通過していたとのこと。オートバイだと、左にひらっ、ハングオンの腰を体重移動しつつ、右にひらっと、イメージは切り返しに近い小田原クランクだが、実際に歩いてみると、
「けっこう距離ありますね」
「うん。ぼくも最初歩いたとき、あれれけっこう遠いなって。オートバイだと、ひらっ、ひらっ、おしまいっ感じなんですけどね」
話しているあいだに、いつの間にか二人の女の子たちは波に引きずりこまれて全身ずぶ濡れになっている。
「あ〜あ・・」
部屋にもどり、女の子ふたりで風呂に入ってもらった。俺はふたりが落とした砂と格闘。ワイフが帰ってくる前に証拠隠滅しないと、万が一、熱をぶり返したときに、ああん? と知らん顔できない。
夜は創業400年の定食屋に行き、またビールで乾杯。うな重、かんぱちの焼き魚定食、まぐろ丼を四人で食す。名残りを惜しみ、新幹線乗り場まで見送った。別れぎわ、彼が言った。
「そういえば、日が出ているうちにビール飲んだの、ひさびさで気持ちよかった」
家に帰った。午後9時。
ワイフから電話があり、今日一日のことを話すと、
「ありえなーい! そのノリ、おとーさんに合ってる・・」
そういえば娘の入学式の日に、なみいるにわかカメラマンらがぞろぞろ子どもを追っかける光景にうんざりしていたワイフの目に止まったのが彼だった。一眼レフデジタルを持ちながら、子どもパパラッチをやるわけでもなく、ずっと夫妻といっしょに話をしていたという。そのときは彼もワイフもお互いにKawasaki乗りとは知らなかったはずだが、入学式に行かなかった俺に「おとーさんと合いそうな人がいる」と言っていたのを思いだした。
またオートバイを買って乗ろうかなとも言っていた。ぜひ新たなサプライズを実現してもらいたいものである。
●本日の鍛練
マラソン8km、ビール2リッター