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染め上げると言うにはあまりに淡い色を連ねて

 朝日新聞「天声人語」の文章があまりにすばらしかったので書き写す。

 染め上げると言うには淡い色を連ねて桜前線の北上はきょうはどのあたりか。陽気に誘われて、せんだって山梨県の神代桜を訪ねた。日本三大桜と呼ばれる一本だ。樹齢二千年ともいうエドヒガンの古木は、ちょうど満開の枝を空に広げていた。


 周囲が12メートルもある幹は黒い巨岩を思わせる。瘤(こぶ)だらけで洞(うろ)をなし、節くれだっている。その貫禄は、残雪の南アルプスに向かって一歩も引かない。異形の塊から清楚な花が乱れ咲く様は、どこか妖しげな空気さえ漂わしていた。

 桜の花は万人に愛でられるが、幹もまた捨てがたい。「桜の画家」で知られる中島千波さんに、「花を描くというより幹を描く」とうかがったことがある。桜の表情は、花よりも幹に真骨頂があるのだという。


 やはり三大桜の一つに樹齢1500年という岐阜の淡墨(うすずみ)桜がある。中島さんは初めて見て幹に圧倒された。「古代人がそこにいるような畏敬の念を感じた」そうだ。以来、歳月を重ねた一本桜の肖像画を描く気構えで桜と向き合ってきた。


 さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり


 小紙歌壇の選者馬場あき子さんの一首を思い出す。水流とは老樹のひそやかな鼓動だろうか。それとも、遠い過去から吸い上げる悠久の時の流れなのだろうか。いずれ、聞こうと心する耳に響く音なのに違いない。


 群生の桜は「見に行く」だが、有名でも無名でも一本桜には「会いに行く」と言うのがふさわしい。人、桜に会う。仲を取り持って、二度とはめぐらぬ今年の春がたけていく。