秀吉の小田原攻めとカラスの小田原攻め

 都内ではカラス対策として兵糧攻め作戦を導入するらしい。ゴミ収集を早朝時間帯にして、カラスの活動前に食糧源を断ってしまおうという目論見のようだ。
 小田原のゴミは平和そのものである。道ばたに出す。カラスよけネットなど使わない。
 地元の飲み屋のおかみの話ではそれでも、けっこう増えたわよ、とのこと。といっても実際に市街地でカラスは見かけなかったが、移住後3ヶ月目にして、やっと目撃した。場所は石垣山。クルマの入り込まないみかん畑の中の枝道に、20羽ほどの小規模の群れがあった。こちらの気配を察知するとすぐに散って逃げていた。
 都会のカラスは逃げない。以前、江戸川のサイクリングロードで向かい風の時速30キロ弱で20分にわたって延々とカラスの集団と並走したことがある。数十派の群れが僕を取り巻き、わざと何度も目の前を斜めに横切る度胸試しのやつや、手をのばせば届く距離でずっと並走する好奇心の強いやつもいたり、とにかくはたから見れば真っ黒なカラス玉みたいなものが地上を時速30キロで移動していたわけで、土手でなごんでいたオートバイのカップルや遊んでいた子どもなんかがみんな指を差し口をあんぐり開けて驚いていた。僕もカラスが羽ばたくときにわしわしと筋肉が軋むことや、飛びながらまばたきするとき、一瞬目が白く反転することなんかを、はじめて知った。
 都会においてはカラス対策は何をやってももはや難しいんではないかと僕は思う。江戸川のサイクリングで僕が実感したのは、彼らの発想ではすでに彼らはその地区の占領を終えているのであって、人間は被占領民として好奇の対象でしかない。
 石垣山で見たカラスは町を見おろす山の上で作戦を練っていた。人間の町を攻め落とすチャンスを伺っている。一方、小田原市街をはさんで反対側の酒匂川の河原でも20羽ぐらいの群れを見た。こちらは、シロサギ、アジサシ、トビらの群れと混在して領有権争いをしつつ、どちらかというと勢いで負けている感じだった。人間の町を攻略するまでには、まだ制空権を得るのに時間がかかるだろう。
 だが、町の東西に群れの存在を確認した以上は、引きつづき注意深く観察をつづける必要がある。南の相模湾、北の足柄にも群れがいるようであれば、陣形は400余年前の秀吉の小田原攻めの段階に達しつつあるということだ。