生涯の麻痺は、発作と熱病で対抗

 一生、顔左半分の麻痺と付き合っていかねばならないというのは、やはり気が重い。
 朝起きてから夜寝るまで、たえず突っ張ったような違和感がまとわりつく。触ると麻酔のように感覚がない。鼻梁から左側、左頬、左上側の歯と歯茎は自分のものではないかのようだ。左の鼻の奥の空隙が骨の陥没によって半分ぐらいにせばめられていて、そこに常時、膿がたまっている。鼻の呼吸が息苦しい。これからは蓄膿症ともずっと付き合っていかねばならないだろうとも医師に言われた。
 鍛練を再開した。1.5km以上泳ぐと顔半分の痺れがぶわーんと極大化して、まるで頭部の左半分をざっくりとサメに食いちぎられたかのような欠落感のせいで溺れそうになる。連続で2kmを越えると、もうカボチャだかスイカだかを首から上にくっつけて水を掻き分けているような気がしてくる。
 冷静さと呼吸を保つ。いったんペースを落とし、落ち着くのを待つ。今はそれしかない。
 プールの雑菌で蓄膿症がひどくなるようなら、耳鼻科で治療しながらやることになるだろう。蓄膿症なんて、子どものものだと思っていたが、まさか人生後半の長いパートナーとなるとは。
 顔いっぱいに新鮮な空気を浴びて思いっきり酸素を吸い込む・・つい先日まで当たり前のようにしていたことが夢のようでもあり、今後もう二度とその感触を得ることはないのかと思うとさびしくもなる。
 ぼんやりしたり、考えごとをしたりしていると、顔の痺れがどんどんふくらみ、左のまぶたもぴくぴくしはじめる。ふと気がつくと、痺れに思考がとらわれる。
 ただ、何かに熱中しているときだけは痺れを忘れる。恩寵の瞬間。しぜんと何かに熱中しようとする。熱中できないことに対しては無理がきかなくなった。無理していると痺れが気になって、つづかないのだ。
 最近では、発作的に絵の勉強がしたくなった。
 発作的な思いや行動にとりつかれているときは、二時間でも三時間でもすべてを忘れて空を飛んでいる。
 発作的にアーヴィングが読みたくなった。
 発作的に倶利迦羅峠を登坂してみたくなった。
 発作のススメ。2006年はいくつの発作を起こせるか。
 また、熱病もよい。持続性が持ち味。すべてを忘れて海底を進む。ここ数ヶ月の熱病はフォールディングバイク、つまりオリタタミのチャリ。語ると止まらないので今日はやめておく。
 というわけで、意外と活力は高い。