水中の格闘技

 トライアスロンでは、なぜか競技者たちは「速い」という言い方をあまりしない。
 「強い」と言う。
 そんなところが、ちょっといいなと思う。
 自分に克つ強さを競う孤高の競技だから、サッカーや野球やプロレスと違って、あんまり見せ場もなく、起伏や盛り上がりも少なく、おまけに競技時間がものすごく長いので、テレビ放映などにはむかない。
 チャリを使うが、ロードレース特有の集団走法は禁止されている。
 一台一台、離れて走らなければならない。だから余計にカケヒキもスピード感、迫力もない。
 しかし、カケヒキが致命的に苦手なために、うちにこもって育児・家事をしている現役主夫である私にとっては、華々しく危険と隣合せのロードレースは無理であった。レース中の罵声や肩のぶつけ合いは、やむをえないものと聞かされても、つらいものである。
 これまで私が唯一、なじむことのできたスポルトは羽根つき。といっても長続きしないので、やったりやらなかったり断続的に中学、高校、大学とかろうじて、である。自陣と敵手とはネットで遮られており、敵手との肉体的接触はない。ラケットはテニスより軽いし、優雅な水鳥の白羽根をひっぱたり、小突いたり、という、じつにノーブルなスポルトであった。それでも、相手と屋内施設が必要というネックはあった。
 だから、ひとりで淡々と広い海を泳いだり、離島の周回路をチャリしたり、ぽろぽろと走ったりするトライアスロンは、育児に手をやく主夫にとってこの上ないスポルトであったのだ。
 おまけに、得点やタイムではなく、ただやり遂げるということで喜んでいい数少ないスポルトである。サッカーなんかでは競技時間終了の笛までちゃんとがんばっても、得点をしないと喜んではいけないそうだ。それに、選手がよく服をひっぱるから私はサッカーはできないだろう。プロレスとかボクシングなど格闘技は見るのも苦手である。
 そんな私が「バトル」の存在を知ったのは、つい2ヶ月ほど前である。
 なぐるける肘鉄する相手の上に体ごとのっかって追い越す足を引っぱって後ろに引きずり下ろす頭をおさえて沈没させる・・私は笑った。
「うそでしょーぅ」
 しかし直接話法で聞いた参加者証言には、「泳いでいるうちに、だんだん手がグーになってくる」とか「キック(バタ足のこと)は足をつかむやつを蹴り落とすためにある」とか、「ゴーグル(水中メガネ)だけは、はずされないように気をつけろ」とか、身も凍るものであった。
 トライアスロンのスウィムのスタートの瞬間は、プロレスなどの格闘技に例えられ、「バトル」と呼ばれていることも知った。
 これによって、競技までの2ヶ月間の私の憂鬱は口では言い表せない。
 私は小学生のとき、一度、海で溺れて父に助けられたことがある。以来、海に入ったのは高校の部活キャンプ以来である。
 3年前に腹が出てきたと言われてはじめた水泳。北島が五輪金をとった夏だった。25mで息も絶え絶えだった。*1
 現在は距離は泳げるようになったものの、水深が胸までしかない室内のコース泳。アクアビクスのおばちゃん群の巻き起こす波にも激しく翻弄されている。いまだに左側から息継ぎができないというネックも背負っている。
 基本的に私は水が怖い。足をひっぱられて波をかぶってパニックになったら、海水面から美しい楽園の姿が消えていくあの小学生のときの記憶が再現されたら・・ひたすら憂鬱な日々に、突如、救いは舞い降りてきた。
「スタートするのを、最後のグループにしたらいいと思いますよ。タイム関係なしの完走目的の人が多いから、そんなにシビアなバトルはないんじゃないかな」
 トライアスロンのスウィムスタートのバトルを軽減させるため、たいがいの大会では、ウェーブスタートといって、帽子で色分けされたグループごとに時間差でスタートする。スタートするグループは、競技者の希望を聞いたり、泳力タイムの自己申告によって分けられたりするとのことだった。
「でも、あんまり遅くに出ると、周回コースなんかだと、先頭集団に追いつかれて巻き込まれるから気をつけて」
 ぬぬぬ。大島の大会コースは港内を750m×2周回すると競技者ハンドブックに書いてある。
 判断が微妙なところであるが、かなり気持ちは楽になった。

*1:これに関するレポートは、[http://www.bunbun.com/tsukinuke/t005.html:title=突き抜ける悦び「チャンスにビーストたれ」15 Aug. 2003] ページ下の方です