富士スピードウェイで開催されたチャリ200キロ耐久レースに、チームNKロケッツの宮さまと出走。
アップダウンが厳しい一周4.5キロのF1コースを44周回で200キロ。制限時間7時間。例年の完走率は60パーセント台。リレーや100キロ耐久の人も含めて、およそ2000人がコースに出る。
前座レースで娘も1周回のキッズレースに出走。スタート時、父親は美しい便所にこもっていて不在。
午前9時スタート。
制限時間の半分過ぎの時間に一回目のピットイン。そしてまた美しい便所にこもる。走りながら放尿するハードなレーサーもいるというのに、レース中にうんこに行くというのは、いかがなものか。しかし自然の摂理であるから従うのが正しい。煙草がうまい。
この時点で半分以上の135キロ走っていたので、気分的にはラクだったが、ふたたび走りだすと、とにかく腰が痛い。前日、9時間もボートで釣りをしていたせいだ。
走りながら腰をのばしたり、引っぱったり、ひねりを入れてみたり、ちょっと変態ちっくな動きだなあと思いつつペダルを漕いだ。
185キロでまたピットイン、煙草タイム。
「ヤク切れ?」
と、宮さまの奥さんに見つけられ失笑を買った。
無料配布のお汁粉を食べ、たこ焼きを食べていたら、ワイフの厳しい視線。
「終わったんじゃないですよねー?」と宮さまの奥さん。
「終わりじゃないですよぅ。まだ走りますよぅ」
ワイフの目がまじめに走りなさいと言っているので、故障している哀れな左膝をリカバリーさせる私の緻密な作戦であることを説明し、また煙草を吸う。ワイフはあきれてどこかに行ってしまった。
緻密な作戦通り、残り15キロは調子よく飛ばした。勢いあまって200キロ達成後も3周余計に走った。というか、どこでどうゴールしていいのか分からず、ぐるぐるまわっていただけである。
宮さまは、なんと無補給・無ピットで制限時間を1時間ほど残して200キロを完走。ほとんどおかしい。異常である。
昨年、同じコースで出走した100キロ耐久の方が、はるかにきつかったねとふたりで回想。あのときは、もう二度と出るかと思ったが、一年間でずいぶん走れるようになった。手の抜きかたを覚えたのと、補給をこまめに行なったのがよかったのだろう。案外、やれるもんである。しかし腰が痛い。