『そのときは彼によろしく』市川拓治

「こういうのをユングならシンクロニシティーって呼ぶんでしょうね」
「宗教家なら神のお導きって言うだろうね」
「私なら、よく出来た偶然と呼ぶがね。実際それが世界を動かしているんだ」
 父さんはそう言って、イカのフリットを口に運んだ。


 良く出来た偶然。実際、それが世界を動かしている。よく出来た偶然、それは畢竟、必然とも言う。

「男を好きになるって、けっこうプリミティブな感覚よ。胸が熱くなって、毛穴からなにやら得体の知れないものが吹き出すの」
「何それ?」
「恋の有機分子。ナノサイズのラブレターよ」
 理工学系らしい彼女の表現だった。


 毛穴から出る得体のしれないもの。エクリン腺とアポクリン腺アポクリン腺から出るたんぱく質が、皮膚の常在細菌に分解されて匂いを発する。硫黄臭、スパイス臭など、腋臭(わきが)の原因でもあるが、香料のカギを握る物質でもあり、特許競争にさらされている。


粒子でとらえる「生物」と「渋滞」

 「粒子力学」というのだろうか。
 生物と無生物の違いはいったいどこにあるのか?
 ランダムに拡散する粒子(原子あるいは分子)が結びついたもの、という観点から考えると不思議である。
 鉱物だって原子という粒子の集まりであり、貝殻だってそうだ。
 しかし一方は明らかに生物ではなく、一方は明らかに生物である。
 整然たる粒子のまとまり(あるいは散らばり)が無生物ならば、DNAによってつなぎ止められた粒子の「渋滞」が生物の本質?
 また、高速道路におけるクルマの渋滞や、航空機火災における脱出ルートの渋滞といった事象を自己駆動粒子の運動という観点から分析すると、これまたすごく不思議な法則がみえてくる。
 たまたま同時進行で読んでいた「生物」と「渋滞」の本だが、どちらも「粒子」という刺激的な切り口だった。


 かじったばかりの粒子力学的な考え方で自分の生活をみてみる。
 これまでの自分の問題解決の方法は、問題要素を単純なレベルにまで分割し、一点突破するやり方だったが、これを粒子力学的に見てみると、一点突破の段階ですでにものごとの流れのボトルネック(渋滞)を生みだしている。つまり要素の渋滞を爆弾で突破するような強引なやり方で、周囲にストレスを与えていた可能性も考えられる。ある意味でこれは「パレート最適」といえるかもしれないが、ここはボトルネックをつくらないナッシュ均衡的な問題解決アプローチを視野にいれていくのもたいせつかもしれないと思った。
 さらに粒子力学的にものごとを考える上では、アインシュタインの「ブラウン理論」を勉強する必要がありそうだ。


『クワイエットルームにようこそ』松尾スズキ

 これは、本格的だ。
 今まで「絶望だ」と思っていた出来事のすべてが、「100均」に並んでいるような安物の絶望に思える。今度こそホンモノ。この孤独のコクの濃さ。密度。いやだ。考えるな。ペラペラの現実の尻尾を、つかめ! つかんで離すな!
 ひゃっひゃひゃひゃひゃあ。
 わたしは一人ぼっちの冷たい部屋で、とうとう笑い出したもんだった。生きてまあす。わたし、生きてますからああって、泣きながら笑ったもんだった。(『クワイエットルームにようこそ松尾スズキ


 松尾スズキは劇団「大人計画」所属。あのクドカン宮藤官九郎)の師匠格にあたる人である。演劇畑の人の小説が熱い。言葉が走っている。
 小説はオーバードーズで緊急入院した、28歳の雑誌ライターで元読者モデルの女の、退院するまでの2週間を描いたものである。
 偶然にも、この小説を読みはじめたのは病院の中でだった。前夜、東京からひとり暮らしの母をクルマで迎えに行き、小田原の病院に入院させた。ふくらはぎの筋肉が切れる、いわゆる「肉離れ」で、退院まで2週間。
 海と真鶴半島の見える病室や、リハビリセンターで、院内描写など、いちいちうなずきながら読んだのだった。



クワイエットルームにようこそ (文春文庫)

クワイエットルームにようこそ (文春文庫)

『サクリファイス』近藤史恵

 旧友が本を出した。といっても執筆者ではない。
 学生時代はいっしょに小説を書いて応募したりしていたが、20年近くたった今、彼は大手出版社の編集者である。
 たまたま自転車に関する本だったが、僕は彼が自転車に乗っているところを見たことがない。(学生時代、京都で古いスクーターに乗っていた)
 その彼が編集者として自転車の小説(帯によると「サイクルロードレースの世界を舞台に描く、青春ミステリだそうだ)を出すとは。不思議な縁もあったもんだと思って読んだ。(皆さん、買ってあげてください!)
 そういえば、増田明美もマラソン小説を出すと新聞に書いてあった。水泳小説もかつてここで紹介したが、芥川賞作家が書いていた。三浦しおんのランニングを題材にした『風が強く吹いている』も読んだ。今日は読書トライアスロン完了。


サクリファイス

サクリファイス

『無花果(いちじく)カレーライス』伊藤たかみ

 陽介の父は再婚していた。子供が二人とも男で、かつ妻と別れた場合、なぜか父は父であることを放棄する。一人の男として振る舞うようになる。平気で新しい恋人の話もするし、昔ほど子供の夕食やら進学について気を遣わなくなった。
(『無花果カレーライス』伊藤たかみ)


 僕の父はそうでもなかったなあ。自分がそうなっても、そうならない気もする。
 同作は『ドライブイン蒲生』所収。ちょっと壊れた父親との関係を軸に、ちょっと壊れた家族を描いた物語が三篇収められている。
 『ドライブイン蒲生』・・父との思い出。姉との思い出と現在。姉の離婚が進行しながら回想が織り交ぜられる構成。ヤンキー姉の毅然としたキャラクターがおもしろい。
 『ジャトーミン』・・父の思い出の話。病床の父の死が進行しながらの回想形式である。父の愛人が幼いころの主人公と妹の記憶に不思議な光景として残っている。類似の構成を持つ作品として芥川賞作家の長嶋侑『サイドカーに犬』がある。ただしそちらは姉と弟で、姉が視点人物。子どもから見た父と、その愛人の不思議な存在感の情感も「サイドカーに犬」の方がうまい。同作は『猛スピードで母は』(芥川賞受賞作)所収。近年、ドラマ化もされた。



『無花果(いちじく)カレーライス』伊藤たかみ

 陽介の父は再婚していた。子供が二人とも男で、かつ妻と別れた場合、なぜか父は父であることを放棄する。一人の男として振る舞うようになる。平気で新しい恋人の話もするし、昔ほど子供の夕食やら進学について気を遣わなくなった。
(『無花果カレーライス』伊藤たかみ)


 僕の父はそうでもなかったなあ。自分がそうなっても、そうならない気もする。
 同作は『ドライブイン蒲生』所収。ちょっと壊れた父親との関係を軸に、ちょっと壊れた家族を描いた物語が三篇収められている。
 『ドライブイン蒲生』・・父との思い出。姉との思い出と現在。姉の離婚が進行しながら回想が織り交ぜられる構成。ヤンキー姉の毅然としたキャラクターがおもしろい。
 『ジャトーミン』・・父の思い出の話。病床の父の死が進行しながらの回想形式である。父の愛人が幼いころの主人公と妹の記憶に不思議な光景として残っている。類似の構成を持つ作品として芥川賞作家の長嶋侑『サイドカーに犬』がある。ただしそちらは姉と弟で、姉が視点人物。子どもから見た父と、その愛人の不思議な存在感の情感も「サイドカーに犬」の方がうまい。同作は『猛スピードで母は』(芥川賞受賞作)所収。近年、ドラマ化もされた。



『女ですもの』内田春菊, よしもとばなな

内田「恋愛で私と同じような性分の人もよく聞くんですけど、彼氏のいない時期がないっていうのが共通点みたいで。二人目の男が現れたくらいのときに、前の人に不誠実なことが起こると、その二人目の人との関係が立ち上がってきて、で、前の人とお別れするっていうパターンで、端境期がない。間が空かないんです。」


よしもと「そういや、私も間が空かなかったな。」


内田「じゃ、重なってる時期もあるでしょ?」


よしもと「重なってる時期なんて、三日ぐらいですよ。」


内田「み、三日!? 決断速いね。」


(中略)


よしもと「っていうか、もうダメだな、と思ってるわけですよ、二人の歴史の後半は。あんたもダメだなと思ってたでしょ?とこっちは思うわけだけど、そういう相手にかぎって、「ダメだとは思ってなかった」って言うんですよ。まぁ、それが男の人というものなのかもしれないけど。」


内田「そんなつもりじゃなかった」とか言い出すんですよね。


よしもと「うまく行っていると思ってたのに」みたいなことを言うから。


内田「そうだね(笑)!」

よしもと「そう出られると「なんだと!」みたいなことになって(笑)、結局・・。」


(『女ですもの』内田春菊, よしもとばなな


 娼婦然としつづける内田春菊と、文学少女然をつづけるよしもとばななの対談。組み合わせのギャップに驚いて読んでみたが、毒っ気においては実は内田よりもばななの方が上ではないかと思わされた。
 しかしながら、女から見ると、男はほんとうに馬鹿に見えるらしい。男から見ると女の馬鹿なところだって目につくが、お互いに視座が完全にズレているから、北朝鮮と日本の外交交渉みたいなもので、おもしろいのかもしれない。


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