敵陣突破

「古い音楽をよく聴きます。新しい音楽とは、すでに存在しているものの上に成り立っている。古いものにちょっとした跳躍があると、内部で大きな変化が生じる。敵陣突破できる」(ミック・ジャガー

 ロックンロールとともに走りつづけ62歳になってなお現役のミック・ジャガーの言葉。朝日新聞による来日インタビューより。
 ちょうど僕もまた、古典を助けに膠着した自陣突破を考え、人生課題として名高い「マールセール・プルースト読破」を試みていたのであった。
 完全訳が文庫で出たし、訳者が著した読破サポートの新書も合わせて読んでいたのだが、1週間にして挫折。チャレンジしているということにおいてのみ豊かな甘美さがあったものの、苦痛とまではいかないまでも、今の自分には時期尚早であった。
 明確な収穫としては、老後の世界旅行の際に、クイーンエリザベス2世号の中で読むべきものだと分かったこと。ヨーロッパ文化に対する憧れと土着的実感なしに読むのはもったいない。今の自分は、この日本で精一杯である。

失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)


プルーストを読む―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

プルーストを読む―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

俗悪な小学生の名前

そしていつも思う。社会をどんどん俗悪なものにしているのは私の世代なのだ。小学生の名前の変遷を見れば歴然とわかる。このクソ世代がやっていることが。
絲山秋子『沖で待つ』「勤労感謝の日」)

 2006年最初の芥川受賞作家になった絲山秋子さんは、日本で初めてまともな女性総合職小説を書いたことで評価された。女性総合職第1期生の彼女らは新人類と呼ばれていた。
 小学校のクラス名簿を見る。明子とかよし子とか、子のつく名前はクラスにだいたい2人ぐらい。子のつく名前を娘につけたかったのに、そうしなかった。うちも俗悪な名前になっているかもしれない。
 天皇家の愛子さま。さすがだ。子をつけながら古くさくなく強い独自性がある。
 妹ができたら何という名前にするのか娘に訊かれた。
「オレンジ」
「ひっどーい」
「いや、みかん、だったかな」
「おとーさん、みかん、あんまし好きじゃないじゃない」
「好きな名前をつければいいってもんじゃないさ」
「ねえ、あけみ、にしようよ」
 あけみ?
 う、うーん、それはどうかなぁ・・言葉を濁した。確かに伝統的な名前ではあるが。それにしてもいきなり、なんで「あけみ」なんだろう?


沖で待つ

沖で待つ

中年の後ろ向きは大人の文学のテーマ

<永き日の波の音せる紙芝居>や<さびしさは紙風船の銀の口>は、少年時代を回顧した句だ。こういうノスタルジーを後ろ向きの姿勢として批判する人もいるが、中年男はときに後ろを向くことも大事なのだ。自分が心地よく感じるものに素直になるのが、さしずめ大人の文学のテーマであるといってみたい。
(仁平勝「時評歌句詩」朝日新聞2006)

 いおうよ。中年の後ろ向きは大人の文学のテーマである。ヤホー!
 

恋も反逆も重要なテーマでなくなったとき、それまで価値を認めなかった日常のささいな出来事が、人生にとって大事なものであることに気づく。俳句ははそうした第二の発見を楽しむ詩型だ。
(仁平勝「時評歌句詩」朝日新聞2006)

 半径五歩の幸福。

明暗を分けた男子五輪代表の眉

忘れられた元エース、皆川の劇的復活。4年後は32歳になるが「年寄りになるけど、バンクーバーまではやりたい」。今度は、アルペン人生の完走をかける。
(朝日新聞)

 思えば五輪でスキージャンプでメダルを獲得したフナキさんが表象台にのぼったときから、男も眉剃りの時代かと論争がはじまり、トリノでは、眉剃らないとだめなんじゃないかと思うぐらいに普通になった。
 僕もいつかは眉剃り、時代の風にのって細眉と思うままずるずると今日に至っていたが、「ミナガワ、だれそれ?」という感じでいきなりメディアの脚光を浴びた男子アルペン回転の皆川さん。
 トリノ男子陣の不振低迷のなか、4位入賞は50年ぶりの快挙。その皆川氏の太い眉がまばゆい。

氷上のタイツマンはやめだ

スケートは楽しいし、愛している。だが正直なところ、少し馬鹿げているように思う。タイツをはいて氷の上を滑り回るために、生涯を費やすなんて。でも僕はスケートが速いおかげで、寄付を集めたり、世界の問題に注意を呼びかけたりできる。大きなことを成し遂げたら、世の中のためになることをしよう。
(ジョーイ・チーク「朝日新聞2006/2/14夕刊」)

トリノオリンピック注目の男子500で、ただひとり1回目2回目とも34秒台をたたきだし、他から飛び抜けて金メダル。
そのジョーイ・チーク(アメリカ)は金メダル報償金をスーダン難民のためにさっさと寄付。この五輪で引退し、タイツをはいて氷の上を滑り回るかわりに、経済学の勉強を再開するそうだ。突き抜ける悦び。

常に負け犬の気分

「君は成功した。勝者だ」と言われるが、僕は常に負け犬の気分だ。薬を買う金がないだけで人々が死んでいく今の世界で、誰が勝者になれるというのだろう。
(ボノ 朝日新聞「ひと」欄)

ここでいう薬というのは、ヤクのことではないし、負け犬といっているのも、けっして独身30台OLへの応援をこめているわけではない。U2のボノさんは、貧困で日々多くの命が消えているアフリカの支援をライフワークにしている。
昨今の日本でもすっかり定着した勝ち負け判定。が、ここでボノさんが言っているのは、そういう勝ち負けをあてはめたがる風潮も含めてのようにもみえる。

踊り念仏とレイヴァー

「クラブで踊っていると、なんだか神がかったように頭がブッ飛んでいきます」
 ふむふむ。私の頭の中でニイニイの説明は、わかりやすいように「一遍上人の踊り念仏」という言葉に変換される。
「そしてクラバーたちはだんだん、外で踊りたい、という欲求に突き動かされるようになります」
「ええっ?! それはみんな、そういう流れになっていくの?」
「たいがいの人は。野外で大音響の中、踊り狂いたくなるのです。それがレイヴです。(中略) レイヴァーもインドをめざすのです。インドのゴアで、踊り狂うのです」
三浦しをん『しをんのしおり』)

 
 アルコールやドラッグといった外部から摂取する因子に頼らずに、ホットでスピリチュアルな活性状態をスピーディーに手に入れる方法の鍵は、脳内アルコールとでもいうべきエンドルフィンの分泌にある。いわばアルコールを脳内で自己精製してしまうのだ。
 これを手軽に実現するための方法を模索するなかで、一遍上人率いる「踊り念仏」に目をつけて資料を収集していたところ、たまたま読んだ三浦しをんのエッセーで引用の文章を見つけた。
 レイヴァーはインドをめざす。
 何か強力なヒントがありそうな気がする。