ソイツ探し

結局のところ、本当の自分を見つけるというのはソイツを見つけることなのかな。ソイツを見つけて、一緒になれば鳴子はきっと本当の幸せな自分になれるから。
劇団ひとり「陰日向に咲く」)


 日本ではあいかわらず「自分探し」ブームがつづいているが、そろそろ変化(変形)が生じてくるころでは、という予感もする2008年。


 自分の生き方を見つける。
  ↓
 自分が幸せになれる生き方、を探す。
  ↓
 自分の幸せ、を探す。
  ↓
 自分の幸せに必要なもの、を探す。


 自分探しのために、多くの若者が海外へと旅立ったりもした。
 逆に、自分探しなんだから、という理由ではないだろうが、自分の内部に引きこもって、内へ内へと自分探し旅をつづけるうちに社会復帰できなくなった若いひきこもりも社会問題となった。
 自分の幸せは誰かの幸せ、とか、誰かといっしょにいることで実現する幸せ、だったりすると、自分探しは、自分探しでなくて「誰か探し」に変形するが、それは対象が明確になるだけ、幸せな自分、だったりする。



陰日向に咲く

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陰日向に咲く、9つの花~勝てない僕らが咲けるまで~ [DVD]

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自殺の能力

 絶望は僕に当然の帰結として、自殺の思想を抱かせた。僕はプリニウスの、次のような言葉にいたく惹かれた。


「・・神といえども、決してすべてを成し得るわけではない。何故なら神は、たとい彼がみずからそれを欲したとしても、自殺することだけはかなわないのだ。ところが、神は人間に対しては、かくも多くの苦難に充ちた人生における最上の賜物として、自殺の能力を賦与してくれた。・・」
(『アサッテの人』諏訪哲史)


 個体数が増えすぎると集団で川に飛び込むレミングの大量自殺、テロメアと呼ばれる細胞の自殺現象・・。キリスト教では禁じられているにもかかわらず、自然を見わたすと、自殺は神が仕組んだ因果律ではないかと思うことがある。
 『アサッテの人』は群像新人賞および本年の芥川賞受賞作。


勇敢にも、一人立ち上がる

小学生の頃、偶然テレビで見た「フレンズ」という映画を、最近よく思い出す。この映画は、ぼくや右近、それに大統領が生まれた年に撮られたもので、フランスの田舎町が舞台になっている。優れた映画だとは言えないが、生涯忘れられないだろう、あるシーンをぼくはこの映画の中に持っている。
 これは、家出をした十四歳の男の子と女の子が、田舎で二人だけの暮らしを手に入れようとする物語だ。廃屋に住みついた金もない彼らは、愛だけで暮らしていこうとする。しかし、そんな生活が長続きするわけもない。男の子が市場から盗んできた一匹の魚を、二人で分け合うような暮らしなのだ。そんな中、男の子が町の闘牛場で清掃員の仕事を見つける。そして、この映画の中、ぼくが一番好きなシーンになる。
 満員の観衆の中に少女の姿がある。始まった闘牛に立ち上がって熱狂する観衆の中、彼女だけが、ぽつんと一人座ったままでいる。見事なファエナで牛が殺され、マタドールが退場したあと、次の試合のためにグランドの清掃が始まる。興奮していた観衆は一人二人と腰を下ろしてしまう。そんな中、少女が勇敢にも、一人立ち上がる。そして箒を持ってグランドに現れたその少年に、彼女は歓声を上げ、誇らしげに拍手を送るのだ。
 ぼくはこのシーンを思い出すと、急に素っ裸になったような気がする。もしもぼくがグランドを清掃するとして、誰がこの観衆の中、立ち上がってくれるだろうか? そして、その立ち上がってくれる人を、ぼくはこの少年のように大切にしてやれるだろうか。
吉田修一『最後の息子』)


 この話を読んで、瞬殺で僕も素っ裸。


フレンズ?ポールとミシェル? [VHS]

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カラマーゾフ的な愚痴

 この場合、愚痴はその心をいっそう掻き乱し、張り裂けさせることによって、わずかに慰めとなるばかりなのである。こうした悲しみは慰めを求めようとはせず、慰められることのない悲哀の情を餌に育ってゆく。愚痴は単にひっきりなしに傷口をつついていたいという要求にすぎないのだ。
ドストエフスキーカラマーゾフ兄弟』小沼文彦訳)

 愚痴の多い人は、案外、パワフルである。

戦争は楽しかったねぇ

いやぁ戦争は楽しかったねぇ。(by 居酒屋大学酒蔵のオヤジ)

 ワイフが送別会で帰りが遅いというので、夕食をつくるのをやめにして、娘と大学酒蔵に行った。
 歩いて2分もかからないところにある居酒屋である。
 吉野家みたいなコの字型のカウンターに90歳のオヤジ(おとーさんと客から呼ばれている)が立っていて注文を受けている。奥の厨房には孫夫婦が裏方をやっていて、オヤジは客から受けた注文を奥に向かって大声で復唱するのが、おもな仕事だ。
 そのほか、ガラスケースにはあらかじめオススメの刺し身類が準備されていて、
「おとーさん、五月イカ!」
 と頼むと、あいよ、と2秒で出てくる。
「熱燗!」
 と言うと、あいよ、と、即座にでっかいとっくりでコップについでくれる。
 いつだったか、店名の由来を訊ねたとき「酒は人生の大学だ」と言って笑っていたが、この大学の下校時間は早い。
 地元客ばかりで、午前9時には閉店する。
 しかしそのあいだ、おとーさんはずっと立ちっぱなしである。膝は痛くならないのかと訊いたら、南方戦線から北方戦線に大陸を移動したときの話になった。武器や荷物を背負って、部隊は毎日40キロ以上歩いた。
 終戦後、帰国への道のりは長かった。帰れぬ戦友もいた。その年の暮れ、昭和20年12月23日深夜、おとーさんは生家である大学酒蔵の前に立った。静まりかえった扉の前で、荷物をいっぱい背負ったまま、おとーさんは背筋を伸ばし、じっと敬礼をしていたに違いないと私は思った。正面のテレビが秋田の小学生殺人事件を報じていた。
 おとーさんは目をちょっと細めて言った。
「戦争は楽しかったねぇ」