バトルツアー第2フェーズ開始!

cippillo2005-05-30

 そういえば、ちょうど一年前の今ごろは1800CCのオートバイ(ゴールドウィング)にナビをつけ、ぶいぶい列島弾道していたものだが、そのときはよもや一年後に自転車にナビをつけてこちょこちょと小田原城下町の裏路地を走りつないで走っているとは想像できたであろうか。
 わが私的記録『羅漢501』や列島弾道バトルツアーデータベース*1をひもとくに、この直後にゴールドウィングを売り払ってドカティ998に乗り替えていることが知れる。自転車に乗りはじめたのはさらにその1ヶ月後の7月後半。まだ高速道路2人乗り解禁も噂として聞く程度のころだった。2005年、よもや高速二人乗りの時代に、自転車とはまことに笑止。やっていることは基本的に同じなのだが、1800CC→0CCという退化凋落ぶりは笑止千万である。
「一年後なんて、まったく想像できん」と言って豪放に笑うワイフ。
 さて、小田原である。
 列島弾道バトルツアーの新たなフェーズとして、先日、「西へ!」のスローガンのもと、住みながら西進する西漸運動を発案したばかりだが、土曜日にさっそく実地検分を行なってきた。
 
 午前4時半、ワイフが操縦するインプレッサ1.5にて出立。自転車3台搭載して。
 午前6時、小田原到着。酒匂川(さかわがわ)下流の河川敷にインプレッサをパーク、アーンド自転車ライド開始。くふふ、国交省推奨のパークアンドライドってわけだ。
 午前6時半。海に出る。こやり(娘の呼称)がひさびさに子どもらしく「わーい!」と歓声をあげ、海と戯れる。
 午前7時半、海を後にし小田原市街地へ。駅から北側の城山町を攻略。「城山」という地名通り、かつては本丸の前に鎮座する第二の要塞の様相をもち、今は閑静な住宅街である。夜になれば住民の数よりも甲冑姿の亡霊の数の方が多くなりそうな地怨を感じる好立地。市井にまみれ、歴史の亡霊にまみれるのが今回の西漸運動の主要な目的であるからして、俄然乗り気になった。小田原駅まで数分という立地にもかかわらず、空き物件も多数見られた。やはり出るのだろうか、甲冑が。それにしてもかなりきつい登坂であった。こやりは早くも大泣き。ひとり遅れをとり、置いてかれて涙でぐしゃぐしゃの顔で抗議。
 かかかっ。泣いてる暇があったら、漕がんか馬鹿者、と一喝。
「おいてくのがわるいんじゃん」と娘。
「遅いお前がわるいんじゃ。悔しかったら、ついてこい馬鹿者」
 と、じつに牧歌的な家族の会話もはずんでいたところ、地元住民のオヤジがうさんくさげな目で出てきた。
「行くとこはどこ? この先は行き止まり」
「いやあ、どこに行くってわけでもないんですけどね」
「とにかく行き止まりだから、もどってもらうしかないな」
「ここ、おじさんの家? いい家だねえ。ガレージなんか、まるで展望台じゃないすか」
 という俺の陽気な質問は無視された。そうとうに警戒されている。娘は泣いているし、俺は小山ほどの荷物を背負ってるし、まるで夜逃げ一家だ。さっそく地元住民の洗礼を受けたってことだ。
 軽快にもと来た坂を下りながら、
「ここなんかどうかな? 新幹線ホームにも近いし、新幹線通勤すれば駅まで40秒!」
「もうちょっとありそうだよ」
「これだけの坂だったら、自転車ノンブレーキで50キロはでるさ」
「帰りは?」
「うーん。上りは厳しいな。まあ、いいトレーニングだと思って」
 
 午前10時。荻窪周辺を探索。バスが一時間に2本。いい物件が多いが、ワイフの通勤を考えると城山に軍配が上がる。
 午前11時。小田原駅東側の東町、寿町、本町を縦横無尽に走る。同時に、ショッピングストア、小学校などもチェック。一枚ものの大きな小田原市地図とナビゲーションシステムを駆使。バトルツアラーの面目躍如だ。
「これって、ぜったいナビがないとできないよね」とワイフ。
「ちっちっち」
 バトルツアラーにとって、どこかに行くためにナビは必要ない。迷い道、廻り道をするためのナビだ。道を決めるのは無計画という成り行き任せ。
 こうして路地を走りつないでいると町の、生活の顔がよく見える。駅からは少し遠いものの、住宅地としてはほどよい空間だ。さっきの城山は魅力はあるが、その反面、住むにはちょっと恐いし、それになぜか小学校が周辺にない。
「このへんなら甲冑の亡者はいなさそうだ」
「でもちょっと道が狭いよね」
「松戸みたいにはいかないさ。歴史のある町だからね。僕の知っている地方都市はみんなこんな感じだし、ニュータウンを探してるわけじゃない」
 
 正午。路地探索を終了し、河川敷のサイクリング公園へ。へんてこな自転車を無料レンタルし遊ぶ。
 
 午後1時。インプレッサで移動。小田原市西部の山岳地帯を広域探索。往年のバトルツアーで鍛えた勘を研ぎ澄まし、次々と穴場ワインディングロードを探査発掘。いきおい、インプレッサのステアリングを握るワイフのアクセルワークが激しくなりはじめ、俺は叫ぶ。
「やめやめー! 自転車が落ちるー!」
 
 午後2時。市西部の「憩いの森」にパーク。子どもの森に、こやりを解き放つ。満艦飾の遊具の前で、無言で舌なめずりをしている。子どもはわくわくすると、みんなべろを出す。
 
 午後3時過ぎ。撤収し、小田原駅前の健康センター「万葉の湯」へ。憩いの森といっても、駅から3km程度である。海も、山も、ワインディングも、箱根ターンパイクも、みんな3km圏内にある。小田原。素晴らしいぞ小田原!
 万葉の湯は健康センターとしては異例なほどの高級路線。料金も高いが満足度も高い。特に館内にある割烹の会席料理、海の幸は最高。飛び魚のタタキをはじめて食った。アジに似るが、アジよりも歯ごたえがあり、ボリュームもある。もっと大味だと思っていたので、その美味さにびっくり。松戸ではちょっと飛び魚を食おうとは思わない。地元ならではの幸だ。ふと思うところあって地図を開くと、漁港隣接の魚市場が2kmほどのところにある。半径3kmで、味、走り、鍛練、釣り(海、山)・・ほとんどのものが揃う。この多彩な変化の魅力が地方都市。
 
 午後5時、仮眠室で就寝。仮眠室といっても、畳の和室を一般開放。貸し切り状態で熟睡。
 
 午後11時、家族起床。あいかわらず貸し切り状態。なんでも俺のイビキがすごすぎて、入ってきた人がみんな出ていってしまったという。この後半生、人に迷惑をかけぬようにとは心がけているが、これだけは・・。
 
 午前零時、万葉の湯を後にし帰途へ。
 
 午前1時半、松戸着。

*1:列島弾道バトルツアーデータベース・・市原千尋の人生旅程の記録。http://www.bunbun.com/tour/tabibase/tabibase.cgi