革命家は偏屈ではいけないかも

 革命家とは今、何をすべきなのかを考える日々である。
 
 ・市井(しせい)にまみれる。→ボヘミアン西漸運動を展開中。
 ・歴史の中で現在を捉える。→山川出版社の高校学参「詳述世界史」を買った。
 ・たくましい生活力 →兼業主夫生活歴、半年経過。
 ・信念を支える強靱な肉体 →アイアンマン・トライアスロンにむけての鍛練。
 
「あれ。作家はやめたの?」と横槍。
「いつ僕が作家になりたいと言いましたか」
「ああ、文士だっけ? いっしょじゃん」
 ぜんぜん違うんだが、ここは革命家らしく、うぐとこらえて言葉を呑み込む。本源的には高踏的な視点に立ちながら、本の売れ行きや出版界というビジネスにまみれざるをえない作家という職業のもつ二面性が、どうも俺の中でうまく折り合いがつかなかったのは事実だ。作家というよりは辻説法に近く、理知派というよりは肉体派、それは職業というよりは根拠なき使命感であって、どうもしっくりこないから「革命文士」などという造語を作ってみたりもしていたが、やはりどうも違う。
 職業はなんだと問われれば、「革命家」と即答したいところだが、それだけの自信もなかった。だから伝説的革命家エルネスト・チェ・ゲバラの若かりし日を描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』は大きな勇気になった。
 ぜんそくもちの医学生エルネストが、単に漠然と何かをしようとオートバイの旅に便乗。遠距離恋愛中の女に会ってちくちく戯れたり、壊れたオートバイを持ち込んだ修理工の人妻に手をだして痛い目に遭いそうになったり、革命家にはほど遠い青春版『モーターサイクル・ダイアリーズ』なのであるが、これがいきおい革命家を指向する旅へと発展するのは、臨終したオートバイをうっちゃって、徒歩とヒッチハイクの旅程となってからである。徒歩の速度で市井にまみれ、弱者に寄り添い、苦労して自分の足で登ったマチュピチュの遺跡から歴史的啓示を受け、まだ頼りなげではあるけれども凛としたひとつのベクトルを見つける。
 モーターサイクルはエルネストにきっかけを与える役割だったわけで、モーターサイクルは壊れてしまうことで至高の意味を持った。題名を裏切るようだが、壊れてしまってからの、壊れてしまったからこそのモーターサイクル・ダイアリーズなのだ。
 オートバイはじつに高踏的な乗り物だ。排他的で孤高。
 もしエルネストが高速道路を使い、HONDAのオートバイに乗って旅をしていたら、彼は革命家チェ・ゲバラになっただろうか? おそらくは「チェ」なしの作家エルネスト・ゲバラか、医師エルネスト・ゲバラ、あるいは渡辺淳一みたいに作家兼医師のエルネスト・ゲバラ
 そうそう。革命家にいちばん必要なもの。
 
 ・世界愛を原動力としたアクション
 
 これについては、往時のエルネストと同じく、今何をすべきかは俺も分からない。それは時節の方が勝手にやって来るはずだ。
 しかし少なくとも偏屈は直そう。文士に偏屈は必要だが、偏屈な革命家、これはちょっといけない。