喧嘩した。革命家落第・・

 あいかわらず飽きずに毎日2km泳いでいる。
 プールに通いはじめて足かけ3年になるが、ついに大音声、罵詈雑言のバトル勃発。
 このプールの「上級者コース」の常連には、古老とでもいうべきファーストジェネレーションと、だいたい入所時期が俺と同じのセカンドジェネレーション、あとは単発で迷いこんでくる新人系がいる。
 ジェネレーションといっても、年齢層はだいたいリタイヤ族の60台で、俺は彼らの中では異例な「若者」である。入所当初は25メートル泳ぐのがやっとだったから、初心者コースでぴちゃぴちゃやっていた。セカンドジェネレーションの連中はたいがいこのとき、いっしょに初心者コースで泳いでいたライバルたちである。この世代の人たちは若者に対しての対抗心がものすごく、何度も辛酸をなめさせられたものだが、悔しさをバネに毎日ぴちゃぴちゃと励んだ。
 ファーストジェネレーションには、大御所の存在感たっぷりのパタパタマン、そして温厚ながらタイムにシビアなキンキンクンクンマン、男どもを抜き去るファーストウーマンなど個性豊かな面々が揃う。いつも上級コースの彼らを横目で見ながら、俺たちセカンドジェネレーションは激しく鍛練を積んだ。
 セカンドジェネレーションには、黒澤監督マン、ドクターマン、カッパマン、黒澤マン2号、クイックターンマン、そして俺。最初に中上級者コースに入ったり出たりしはじめたのは、黒澤監督マンだった。当時は、度胸あるなぁと思って見ていたが、一年たたないうちに、全員が上級者コースで泳ぐようになった。
 なんせ、全員が毎日2kmから3kmは泳いでいる。雨の日も雪の日も、二日酔いでも欠かさない。みんな我流なので、泳ぎがくねくねして、息継ぎでのアクションが大きいのが類似点。もちろん俺もそうだ。
 人がいないところを見はからって、ちょっとずつクイックターンの練習をするようになったのもこのころ。ファーストジェネレーションの面々がカッコよくクイックターンを決める姿は憧れだった。クイックターンマンの習得がいちばん早く、というか、このおじさんはある時からクイックターンしかしなくなった。正直いって、ふつうにターンした方がぜったい速いのであるが、あくまでスローなクイックターンにこだわっているようだった。
 しかしそれも昔の話。さすがに毎日、頭がおかしいんじゃないかと思うぐらいに泳いでいるものだから、セカンドジェネレーションもみなすこぶる上達し、ほぼファーストジェネレーションを上回るところまできていた。セカンド同士のライバル心が強いのか、ファースト面々とは挨拶、談笑もするのだが、どうもセカンドとは誰一人挨拶しない。ファーストにかわいがられてすっかりいい待遇に落ち着いている俺とは対照的に、セカンドの面々は黙々とストイックに泳ぎに徹している。見上げたものだ。
 ところがセカンドの面々は、黒澤監督マンを除いて、全員が譲り合いの精神に著しく欠けているのである。この点に関して小心な俺は、後方10メートル以内に速い人が近づいてきたら、もうそわそわしてしまって、早い目にターン地点に立ち止まって譲ることにしている。ことにしている、というよりは、怖いし自然と譲らざるをえない。ターン地点に人がいるときや、後方に追跡者がいるときは、クイックターンも使わない。だいたい俺たちレヴェルのへなちょこクイックターンなんて自己満足以外の何ものでもないんだし、周囲にださいしぶきを飛ばして顔をしかめられたり、追跡者に衝突してしまってもつまらない。なんせクイックターンというやつは、クイックであろうがスローであろうが、後方確認できないし、方向調整がきかないんだから。中途半端な俺たちがやればなおさらである。
 さて本日の話。
 プールは通常日は早朝の部と昼の部があって、ファーストジェネレーション、セカンドジェネレーションともに、それぞれ早朝型の人、昼型の人とだいたい棲み分けができていた。ただ水曜日だけは早朝の部がないため、昼に全員が集まることになる。ひとつのコースでファースト、セカンドがえらい勢いでばっしゃんばっしゃん泳ぎ、ぐるんぐるんターンしまくるものだから、その迫力たるや周囲を寄せつけないものがある。それでもうまく調和がとれているのは、ファーストの古老たちが徹底した譲り合い精神を実践しているからである。なんというか、余裕があるのである。
 余裕のないセカンドから余裕あるファーストへの昇格をめざす俺は、ファーストの三人に譲り譲られながら、じつに気持ちよくぴちゃぴちゃやっていたわけだ。14往復目にさしかかるとき、突然、衝撃波がひとつ。ターン地点の5メートル手前で割込スタートした輩一名。
 むぅ、俺の前に割り込むとは、右も左も分からぬ新人系じさまだな。俺の後ろにはファースト3名もいる。怖れを知らぬとは、かわゆいものよ、くほほほ、なんて思っているうちに、追いついた。背後にぴったりついていると、こやつ、いきなりクイックターンをかましやがった。
 くほほほ、ナマイキなおじさんだね、こんな新人はじめてだな、くほほ、くほほ、なんて思っていると、早くも25メートル。前方のターン地点には渋滞を避けて泳ぎをやめたファーストの3名が立っている。その分、ターン地点が狭くなっている。うーん、これは危険だねー、ここで譲らないとどう見ても衝突コースだねーと思っていたら、こやつ、またしてもクイックターン。これだけ人が立っている狭い場所で、しかも後ろまで俺にふさがれているのに、だ。
 激突しました。
 泳ぎをやめて睨みあいます。よく見るとクイックターンマンだった。新人なら厳重注意でとどめておくところだが、同じセカンドジェネレーションの常連として恥ずかしくも情けなくなった俺は、つい大音声で怒鳴ってしまったのだった。
「あんた、中学生か? 生まれて何年になるんだ?」
「ああん?」
 ああん、だって。ああん、ですよ。ヤクザですかこの人は。
「なんで俺の前に入ってくるわけ?」と僕。
「お前が横切ってきたんだろうが」
「俺はずっとこのコースを猿みたくぐるぐる泳いでるの。どうやったらあんたの前を横切れんの?」
 クイックターンマンの体をぐるりとまわれ右でまわし、やつの後ろで泳ぐ真似をする。触った瞬間、よく締まった頑強な肉体だった。クイックターンマンは毎日、泳ぎに加えて、ストレッチ、腕立て伏せ、腹筋までやっているのを俺は知っている。その点ではじつに立派なストイシズムに貫かれているのだ。自転車のレースでも思ったことだが、頑健な肉体を持った男が平気で罵詈雑言を垂れる。ストイックなことは一歩間違えると罪悪ではないかとも思う。自分に厳しい課題を課すことによって、それ以外の価値をすべて認められなくなる。熱心なアマチュアアスリートが陥りがちな「ストイック→徹底した自己中心性」の図式が浮かび上がる。まわれ右をさせたことに腹をたてたクイックターンマンは、「お前、手をだしたな。上がれ。こっち来い」と騒ぎだし、プールを上がり、裏に入ろうとする。
「来い」
「それが人にものを頼む言い方か。ここでいいだろ。みんなに聞いてもらおうぜ」
「こっち来い」とあくまで裏に引き込もうとする。ひどく人目を気にしている。やはりこいつ犯罪者か何かか。
「何恥ずかしがってんだよ、そんな奥に引っ込まないで出てこいよ。監視員さんもここにいるし、みんな聞いてくれてるぜ。恥ずかしがらずに出てこいよ」
「みっともねえんだよ。お前がこっち来い」
 あくまで公衆の面前での談判を拒否するので、しかたなく奥に入った。
「お前・・」
「お前って誰だよ。なんであんたにお前って言われなきゃなんないんだ。それが話をしようって態度か?」
 という俺も、ずいぶんひどい悪口ではある。で、さっきの横切ったの横切らないのの話になった。
「お前が隣のコースから移ってきたんだろ」
「あのさ、ここにいるみんなに聞いてみな。あんたがしょんべんたれ泳ぎするずーっと前から俺はこのコースでえっさえっさやってんの。それと、中学生じゃねえんだから、そろそろ<お前>っていうのやめてくんねかな」
「横切ってきたのはそっちだろが」と、ここであくまで論理を無視し「横切り説」を主張するクイックターンマン。
「人が立っててせまいとこなんだから、わざわざクイックターンすればぶつかるかもしれないと思わんの? 世界記録じゃあんめえし、危険な状況でわざわざちんたらクイックターンする意味ないだろがボケ」
 と別の角度から問うてみると、
「このコースでクイックターンは認められてる」
「あのさ、道交法で青はすすめって書いてあったら、あんた障害者がいようがばあちゃんが歩いてようが突っ込むわけ?」
「道交法は関係ないだろ」と鼻でせせら笑う。どこまでも頭に来るやつだ。
「俺だってクイックターンはするけど、人がいるところではやらない。あたりまえだろう? ただでさえ、あんた何も見えてないじゃないか」
 このへんでプールから心配そうに見ていたファースト面々が俺に「話しても無駄だよ。やめとけやめとけ」と言いだした。
 ファースト連になだめられ、とりあえず矛先を下げるが不愉快。監視員はおろおろするだけで無策。
 禁酒法時代のマフィアみたいにひとさし指をまっすぐ額に当てて、「今度俺の前を泳いだら」と静かに言った。
 コースにもどると、
「まあまあ気を静めて。不愉快だよなあ。ほら、先、泳ぎな」
「いや、こちらこそ騒がせちゃってすんませんでした。どうぞお先に」
 と、なんと真後ろにクイックターンマンが仁王立ち。ファーストウーマンがちょうどターンしようとしているところだったので、パタパタマンがクイックターンマンを手で制止。これでもたぶんこやつは自分の勝手に気づかないのだろう。キンキンクンクンマンもあきれ顔で、
「あれでまた平気で泳ぐんだね。すごい神経してるね」
 更衣室でもファーストの面々になだめられたが、この先の革命に自信が持てなくなっていた俺はかなり消沈していた。
 クイックターンマンが悪人ではないことが俺を悩ませていた。むしろきちんとして自分に厳しく、正しいと思えば逃げずにまっすぐ来る見上げた男である。かえって悪人の方が、まだ正機がある。善人だから八方塞がりなのだ。自分を律し、正しいと強固に信念を持った人間・・これが俺の革命の最大の相手かもしれないと思った。無辜な婦女市民を爆殺して悔いぬテロリストも、じつは同じ構造なのだ。自分を律し、正しいと思う信念に強固に突き進む。悪人や、だらしない人間なら、まだ変わったり逡巡する余地はある。しかし、いったい俺は彼らに何を伝えられるというのか?
 しかしひとつだけ確かな反省がある。
 俺は言葉が汚なすぎる。相手への非難、侮辱、揶揄のありったけを注ぎ込む悪癖を直そう。そんな非道いことを彼がしたか? 彼はただ、ちょっと周囲への配慮が足りなかっただけで、もっと簡単に言えば、譲っていれば、ただ譲ってさえいれば、何も起こらなかった。罪でも悪でもなんでもない。ささいな配慮の有無だけの話だ。くだらなすぎて、小さすぎて吐き気がしそうなぐらいちっぽけなことで怒鳴り消沈している俺は革命家として落第。
 マザアテレサの言葉を今一度胸に刻もう。
 痛みを感じるまで愛しなさい。