ひと(ODAWARAインプレッション10)

 駅ロータリーの小さな歩行者用信号。
 車道は一方通行で数歩で渡れる程度の横断歩道、ロータリーなので見晴らしはよく、こちらに来るクルマはいない。が、俺はじっと青になるのを待っている。同じく信号待ちをしている人たちも、のんびり待っている。
 小田原の町と人とは、すべてこの光景に凝縮されている。
 一ヶ月前。千葉県松戸市新松戸駅前。
 赤信号の歩道を当然の権利といわばかりに渡る男、女。若いのも老いたのも、自転車もいる。いかんせん数が多いのでクルマも遠慮がちである。不機嫌そうに大股で歩く若い女がクルマの方をにらむ。いい加減頭にきたのか、けたたましくクラクションが鳴る。
 俺はここはなるべく通らないようにしていたが、たまにオートバイで通らなければならないときは、ヒロシマに原爆を落とす気持ちで突っ走る。俺が殺すんじゃない、信号が殺すのだ。
 そして、仕事帰りにこの信号を歩行者として渡るときは、みけんにしわを寄せて赤信号を黙殺する。
 ここでは矛盾がもはや矛盾ではない。不機嫌の連鎖と衝動だけだ。
 小田原に移住して、最初に東京に行ったとき。駅にむかって、この信号にさしかかった。数人の人が信号待ちをしていたが、俺は何も意識しないまま自動的に赤信号を渡っていた。
 無意識なだけに、二歩目にして、あれっと違和感を感じた。追随してくるはずの人たちがひとりもいない。赤信号を渡りおえたとき、後ろから視線を感じながら、なんか俺ってすごーくワルいやつではないか、という気になった。はからずも、おのれのセコさがきわだって、じつに忸怩たる思いだった。
 ワイフに話すと、やはり同じことを痛感したと言っていた。
 そんなわけで、今日も俺はちょっとにやけながら青信号になるのを待っている。