陸(おか)に上がった。
トランジットエリアまで坂道を走る走る100m。
走りながら、引きはがすようにウェットスーツを上から脱いでいく。
ワイフとプリンセスが横を伴走しながら、
「おとーさん、14位!*1」
「そんな早いわけねーだろ馬鹿野郎!」
「レーン、間違えないでっ!」
「はい、すみません」
トランジットエリアにて。
足についた砂がとれなくてパニックになっている初心者っぽさがうかがえる。砂ついたままクツはくの、やじゃないですか?
チャリで走りだす。沿道の応援がうれしい。カッコつけて飛ばす。
風向きが午前と反対になっている。ゆるい上りなのに53キロ出ている。
こりゃもたん、緩めよ、と思ったら、すごい気合のガイジンに抜かれた。
デイヴィド! 生きていたかー!
デイヴィドを追った。
後ろにつくのは違反なので、少し距離をあけて様子をみる。
ちと飛ばしすぎちゃう?
やはり先の上り坂でデイヴィド失速。
私も右膝に故障を抱えているので、カッコつけて立ち漕ぎしたいところをガマン。
坂で抜いたら下り坂で必死に追いすがってくる鬼神のような表情のデイヴィド。鬼畜米英、港内スウィムの恨み、これぞほんとのリメンバー・パールハーバー、いや、モトマチ・ハーバーである。
怖かったので飛ばしたかったが、家族と完走する約束を私は忘れていない。下りは軽くペダルに足をあてるぐらいにして、給水。昔はこれを怠って、よく足を攣った。デイヴィドは下り全開。
次の上りでデイヴィドは力尽きたのか追ってこない。
ようやくひとり旅。それでも6機ぐらいは抜いた。
家族には1週10キロを15分ぐらいで戻ってくるから、応援よろしくと伝えてある。
しかし復路ルートは風向きが悪く力を抜いたこともあって、1周目は20分弱かかった。
「遅すぎー! 遊ぶなー」
ワイフが命令形になっている。
2周回目。好青年が追いついてきた。これにマッチョなトレックを交えて3機が抜きつ抜かれつで2周回目を終える。周回遅れが出てきたので、抜くのが難しくなってきた。どうしても車間距離が縮まってしまう。トレックは追い越し禁止区間も追い越しをやり、二列並走しているときは左側追い越しを使うなど、けっこうやりたい放題やっている。マッチョマンは自分の筋肉で地球を動かしていると思っているのかもしれない。
「追い越し禁止だよーんー」
と、一応、逃げ腰ながら言っておいた。
3周回目には集団は8機ほどに膨れあがっていた。これぐらいの集団になると、どうしても車間距離は縮まるが、あきらかに禁じ手のドラフティング走行をする者が複数出てきた。
最初からいっしょだった好青年はじつにフェアプレーなナイス青年で、いつも風よけとなって集団を引かされている。ときどき私が前に出て先頭を替わろうとすると、芋づるのように後ろにくっついてくるくる車列。
私が風よけを脱落すると、けっきょくまたかの好青年が果敢に先頭に立つのだった。この青年が最後に集団に抜かれるようなことがあっては、日本の未来に禍根を残す。ダメ人間であっても心だけは処女のようでありたいと思う私は、ここに至って、日本の青少年の未来のために、きょろきょろ作戦とふらふら作戦の同時敢行を決めたのだった。
私はおもむろに、にやにやしながら後ろを見たり横を見たり激しい脇見運転を開始。後続車を散らすのに、かなりの心理的効果があった。
ふらふら運転は私の十八番である。ロードレースでは、まっすぐ走れよ! と、よく怒鳴られたものだ。ただこれに関しては、けっしてわざとやっているわけではなく、どういうわけか、まっすぐ走れない癖があるようなのである。実際、真剣に衝突しそうになって、マーシャルから注意するよう言われた。
4周回目に入ったとき、私と青年は膨れ上がった集団の後部にいた。
最後の周回。残り6キロ地点で前に出た。
上り坂でとっておいた立ち漕ぎアタックで集団をかわす。そして、また好青年とふたりになった。しばし横に並んで走る。
「くっついてくる人多かったですねー」と好青年。
「あなたが速いから抜こうとしても抜けないってのもあるんだけどね! わはは」
と、ウインクしたがサングラスしているから見えないか。
しばらくふたりで会話しながら走ったが、最後の折り返し地点で後ろを見たら、ぐんぐん集団が迫ってくる。
「やっぱ集団のチカラは強いわ〜。吸収される〜」
と、早くも足を緩める私に、好青年は、にこっと笑って、
「追いつかれないように、もうちょっとがんばってみましょうよ!」
なんか、ものすごく感動しました。
私はいつもそうやって長いものに巻かれ、大きなものにひれ伏し、だめそうなものには諦めを打って生きてきた。
SMD(前述のスーパーマズイドリンク)のボトルをつかみ、臓腑にいっきに流し込んだ。
SMDが粘膜に張り巡らされた毛細血管を通じて取り込まれ、自分が獣になっていくのが分かる。あまりのマズさに毛穴が開き、自虐的恍惚が私を貫く。
もうちょっとがんばってみましょうよ・・かぁ・・。
この「かぁ・・」のゆるやかな2秒間あいだに、私はしゅるりとサドルから腰を浮かせて立ち上がり、とっておいた余力温存のセコさと、右膝故障リスクの怖れのすべてを投げ捨てて、封印のストリートダンシングに起爆した。
おりおりおりおりおりおりおりおりおりー!
SMDが燃焼し青い猛火がエンジンを包む。プレミアムガソリンのコマーシャルみたいだ。
よりよりよりよりよりよりよりよりよりー!
過給機のタービンが廻る。1機2機3機、って、何個廻すんだ!
農道裏ストレートの1キロにおよんでの延々たるダンシング。コーナーで一回腰を落としたあとは、またダンシング!
下り坂でもダンシング! 馬鹿まるだしダンシング! 略してBMD!
なぜか交通規制のコース上を歩いているサーファーの一団。
疾風、脇を抜け。
はえー! という歓声が残響となって後方に霧散する。後ろにはジェット雲ができているはずだ。
先行していた1機をとらえた。またしてもマッチョ。しかも別のマッチョ。こやつが先頭か?
1キロぐらい必死で追いかけたが、さすがにこちらの腰も落ち、いったん諦めかけた。が、
「もうちょっと、がんばってみましょうよ」
青年のさわやかな笑顔を思いだしたら、またBMDが爆発。SMDを飲んでBMD!
いったい今日の私はどうかしている。IKWDSTIR!
BMDの猛追に、マッチョが力を緩めた。MCY!
抜き去っても、スピードを緩めぬBMD。
ゴール前の直線で後ろを確認してSMD。
見通すかぎり誰もいなかったけどBMD。
生まれてはじめて「逃げ」が決まった。青年は消えてしまったが、未来を信じることができたに違いない。
チャリのゴールライン手前、手もとのメーターの走行時間は1時間1分をまわったところだった。
青年、ありがとう! 感動で、あやうく自分で自分を褒めてあげそうになりながらゴールイン!
しかし私はだいじなことを忘れていた。
ここはゴールではない。このあと10キロのランニングが待っている。しかもゴールラインと間違えた白線は、トランジットラインといって、ここから先をチャリにまたがったまま進むことは、失格になってもしかたないぐらいの重大違反となる。
「バイク、降りてくださーい!」と、マーシャルのおじいさんの声。
「さんいだよー!!!*2」家族の絶叫。
後輪をロックさせ車体を横に振りだしながら急停止した私は、足をついた瞬間、そのまま転倒、落車。
その劇的瞬間を、冷酷にもワイフのカメラは捉えていた。
1位でランに入ったモチヅキ選手も振り返って見ています。先頭の選手にはオートバイの伴走がついていますね。
おろしたばかりのオルカのバイクショーツ12800円が破れた。
あいたたた。これはかなりの精神的ダメージ!
しかし、なぜかフェアー精神オタクみたいになっていた私は、このとき、マーシャルのおじいさんに、
「ラインまでもどりましょうか? もどった方がいいですか?」
「うーん・・」
「もどりましょうか?」
「うーん・・」
すぐそこなんだから、問答せずにさっさと戻ればよかったのだが、この終わりなきやりとりに業を煮やした家族が上から、
「なにやってんのーー! 訊いたって、おじーさん意味分かってないんだから、早く進みなさい!」
「ボランティアでやってくれている人に、そういう言い方はないんじゃないかぁ」
と、なぜか今度は家族内で言い合いになっている場合じゃなくて、
「行きなさいっ」
ワイフとプリンセスの悲鳴に近い号令で、私はチャリを押してトランジットエリアに進んだ。
なんだか今日はやけに家族に怒られる日だ。
(つづく)