すごすぎる貼り紙

(書聖と呼ばれる王羲之の麗筆は)雲が飛び露が結ぶようにきれるかにみえてまた連なり、鳳(おおとり)が羽ばたき竜がわだかまるよう。
王羲之伝)

書聖、王羲之の直筆は現存していない。
正確な写しとされる手紙にしても、「ちゃんと書類出してくださいよ」みたいないたって事務的なもの。
王羲之が「立ち小便禁止」と書いた看板なら、雲が飛び、露が結ぶように切れるかに見えてまた連なるような筆跡に、ああっと失禁する者、続出である。
また、「一歩前へ」とあれば、鳳(おおとり)が羽ばたき竜がわだかまるような筆跡に促され、思わず大きく踏みだして肥だめに足を突っ込んでしまう。

まるくなったのではない。負けたのだ

人は、質が上がった時には意外とわからない。しかし、下がった時には瞬時にわかる
平野啓一郎・作家)

健康もしかり。

「東京の繁華街で黒々とした衣服の群衆が縦横に歩いているのを目のあたりにしたとき、黒い魚の群れを連想し、私もまぎれこんで遊泳してみたくなったんです。そうすれば、まるで姿を消したように自由になれそうだったから」
ドーリス・デリエ・映画監督)

そんなところに、そんな自由があったのか!

「日本語も分からず、手足をもぎとられたように無力だったはずなのに、なぜか安心しきっていられた。見ず知らずの人たちと心地よい距離感で触れあえたからでした」
ドーリス・デリエ

そんなところに心地よい距離感があったのか!

ベケットの「ゴドーを待ちながら」では、田舎道に一本の木が生えています。地平線と木との交差点が虚空の軸になって、そこから空間が遠心的に広がっていく。これが現代劇の出発点になってるんじゃないか。
別役実

そんなところに現代劇の出発点があったのか!

電話であろうと、直接会って話しているのであろうと、沈黙はかなり効果的な武器だ。沈黙は相手の不安をかきたてる。そのせいで何か言ったり、やったりして、無理にでも沈黙を終わらせようとする。
(ベン・ロペス『ネゴシエーター 人質救出の心理戦』)

そんなところに武器があったのか!

道具箱にハンマーしかなければ、見るものすべてが「釘」に見えてくる。
(ラリー・ブリッジ/ニューヨーク市警交渉班)

道具箱に猟銃しかなければ、見るものすべてが獲物に見えてくる。
冤罪は、こうした「釘」たちの悲劇である。

「自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだった」
赤坂真理『東京プリズン』)

「まるくなりましたねえ」とよく言われる。
確かに最近、怒らなくなった。若いころは人にも世界にも怒ってばかりいた。怒る以上、自分もちゃんとしようと思っていた。
怒らなくなったのは、単にちゃんとしようとするのをあきらめただけだった。
まるくなったのではない。負けたのだ。

エネルギーに一定の法則があるように、最悪もまた、ひとつ消化されれば次の最悪で補填(ほてん)され一定の最悪を保とうとする。最悪一定の法則だ。
(『私はテレビに出たかった』松尾スズキ

この法則の悪しきループから抜け出すための最善の方法は、おそらく、待つことだ。

「月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然(ほんねん)の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」
(森敦「月山」)

知ろうとせず、見ようとしない。全身、コレスポンデンスですよ。

「男は心に紙飛行機を。1枚の紙と小さな窓があれば、どんな世界にでも飛んでいける」
阿久悠

耳に心地よい言葉だがみごとに軽い。さすが職人技。

社会を支える信頼は、言葉という、頭で考えた道具ではなく、人間が生物学的に備える身体感覚で作られる。言葉が氾濫(はんらん)する社会で体の声をどう聞くか。
(山際寿一「ゴリラは語る」の著者)

ホームに落ちた人、溺れている子ども・・それを見て、とっさに人が飛び込んでしまうのは、理屈ではなく身体感覚だから多分にゴリラ的である。
とっさに飛び込まずに、頭で考える人は、きっと完全に「人間」として進化した人なのだろう。

ゴリラは平和的な種族で争いごとを上手に解決する知恵ももつ。人間の階層格差を生み出すのは、所有欲、過剰な愛、そして言語を含めたわずか1.4%の部分。→「15歳の寺子屋 ゴリラは語る」
(山極寿一)

1.4%・・人間とゴリラの遺伝子の違い。しかし、過剰な愛、とは? ゴリラはほどほどに愛する?

大切な人の死は、喪失ではない。死者となった他者と出会い直すことが重要だ。
中島岳志

死者となった他者との出会い直し。事実を受け入れるということだろうか。でもやっぱり喪失ではないのか。

ふりかけには(風水的に)補充の運気があり、朝食に取り入れると運気の吸収率がアップする。
(ビーミング・ライフストア)

ふりかけは、なんといっても「ゆかり」が好きである。

「倉庫は非日常的な空間だし、いつも動きがある」
川俣正・美術家)

倉庫が大好きだ。大きな倉庫の中に小さな家を建てる。これぞ非日常的空間の中の日常生活。

2012年の政治経済のまとめ(名言から)

「今回の米大統領選を見て実感したのは、政治家とは社会の様々な集団や人々をつなぐ、あるいは鼓舞する、ある種のストーリー(物語)をつむぎ、与える存在だということです」
渡辺靖・慶大教授)

多分に政治家は作家的なセンスも必要なわけだが、しかし、まんま作家が政治家では困る。政治は小説とちがって一人で書くものではない。そういう意味では作家は独裁者にはむいているかもしれない。

そうやって成長した若者たちは地元に残り、地元の祭りの担い手となり、『絆』を重んじるヤンキー的な保守として成熟し、うまくすれば地域の顔役になったり地方議員になったりする。要するに、不良になりそうな連中がソーラン節や祭りによって保守にロンダリングされるのです。
斎藤環・精神科医)

地方自民党はヤンキーだったのか? ヤンキーがロンダリングされて「顔」になる。

生活は段階的にしか変えられない。数年ですべてが変わる改革などありえない。明治維新の政治家も実際の政策で微修正を繰り返し、二歩前進一歩後退で漸進させていった。それが改革の本領でしょう。
宮地正人・東大名誉教授)

3年や4年でガマンできないようでは、この国の国民は「改革」を見ることはできないだろう。

たとえば米国は人口3億に対し基礎自治体が8万以上あります。行政のサービスが不足なら、住民が特別区も作れる。小さな単位に決定権と責任があり、中身のあるタウンミーティング公聴会もあるから政治が近いのです。そういう『参加』の仕組みは、多くの先進国が作っています。
小熊英二

自治会長はけっこう自治している感があるが、「自治体」となると、ぜんぜん自治していない。

国民全体がある種の決断主義に陥っていることです。政策の良しあしよりも、決断や実行ができるかの方が重要になってしまった。『決断した』イコール『圧力に屈しなかった』『いろいろな意見をはね返した』というわけです。マッチョであること自体が評価されるようになってしまいました。
湯浅誠

コイズミさん人気のあたりから、その風潮強し。決められないことって、じつは多様で豊かであることに他ならないのに。

「右翼というのは社会の少数派として存在するから意味があるのであって、全体がそうなってしまうのはまずい。国家が思想を持つとロクなことにならないんですよ。必ず押し付けが始まりますから」
鈴木邦男一水会顧問)

一水会は伝統ある右翼である。その顧問がそう言うのである。
今、日本で台頭している右翼っぽい感じの人たちは、右翼っぽい感じなだけなのである。小林よしのりさんでさえ、今の日本で右翼をやるとしたらリベラルになる、と言っている。右翼はまず身近な隣人を愛し、遠くの隣人も身近な隣人と同じように尊重する人たちである。右翼はマッチョなイメージとは裏腹に、じつに家庭的なのである。

もはや日本経済にソフトランディング(軟着陸)はない。リセットして若者世代に渡すしかない。
藤巻健史・伝説のトレーダー)

日本の経済は、原発を即時停止するぐらいのハードランディングが必要だとすれば、なんとも逆説的な話である。

クレオールの思想は水平につながっていく。むしろ反対の概念がグローバル化。大国が自分の大システムを世界に押しつける。その暴力性に人間の自由な知恵としてのクレオールを対置してゆきたい」
大江健三郎

クレオールとは中南米の島々で生活するスペイン系の子孫。歴史の経緯から、しぜんと自己の内部に他者性を介在させ、多様性をみとめる。グローバル化の反対は鎖国かと思っていたが、じつはグローバル化鎖国とは根っこの思想は同じなのだと気かされた。

私はいつも最初にスポーツ欄を開く

私はいつも最初にスポーツ欄を開く。そこには人類が達成したことが記録されている。第一面は人間のしでかした失敗ばかりだ。
(ウォーレン『名言の森』)

第三面は、小説より奇なり。

中高年って笑顔がきれいで、かわいいですよね。一生懸命、残った時間を生きていて、肌のお手入れやダイエットとか、現状維持にすべてをかけている。あきらめてはやり直して、ブレーキかけたりアクセル踏んだり。男もそう。お酒をやめたり、また飲んだり。
綾小路きみまろ

ブレーキとアクセルを踏み間違えたり。

人生とは勝ち負けではなく、味わい尽くすこと
明川哲也・創作家)

負けを味わい尽せるようになったら、そうとう上級者。

偉大なるファラオの墓に触れた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう。
(エジプト王墓に記された呪いの言葉)

言いたいことは「立入禁止」。しかし何とも迫力がある。
こんな看板があったら、入る勇気ある?
「この土地は社有地です。偉大な社長の土地に踏み入った者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるでしょう」

イジメとは抵抗できない誰かを大勢でたたくこと。孤立する誰かをさらに追い詰めること。ならば気づかねばならない。日本社会全体がそうなりかけている。この背景には厳罰化の流れがある。つまり善悪二元化だ。だから自分たちは正義となる。
森達也

二者択一の流れは、小泉首相あたりから強まったような。勝者と敗者。富と貧困。日本で多数を占めていた中間はどこへ?

悪い出来事もなかなか手放せないのならずっと抱えていればいいんです。そうすれば、オセロの駒がひっくり返るように反転するときがきますよ。
(窪美澄「花粉・受粉」)

良い出来事はさっさと手放さないと、オセロの駒がひっくり返るように反転します。

機械は正確ではあるのですが、選手と審判の信頼関係によって成立するという本来のスポーツの姿は、そこにはありません。今大会も様々な競技で微妙な判定が話題になっています。しかしミスに不寛容な社会の中でせめてスポーツにぐらいミスを許したっていい。
(杉山茂 スポーツプロデューサー)

寛容であること。現代世界の共通課題である。ロンドンオリンピックで考える。

いまね、ババアというのは90歳以上の人が多いよ。それだけの貫禄とね、社会的地位があるね。70代、80代はババアじゃないね。まだ十分な魅力がない。円熟してないよ。俺がいうババアってのはね、尊称なんだよ。
毒蝮三太夫

社会的地位がないとババアになれないのかな。純粋なババア愛ではなく、媚びがある。

人間の欲望に最適化された消費社会の究極形たるフラットなモール空間と、はるか縄文期にさかのぼるアニミズム的な自然観さえ感じさせる人工の大樹という互いに相いれないはずの要素が、「広さ」と「高さ」の緊張の中に共存している構図には、21世紀の文明を駆動する新たな葛藤軸が示されている。
(中川大地)

東京スカイツリーに、ここまで意義付けをできるのはすごい。

ももいろクローバーのライブは作り物めいた世界だが)・・「仕組まれたフェイク(虚構)を全力でこなすことで、虚実を逆転させ、リアリティーを獲得する」
室井尚横浜国立大学教授)

映画「スマグラー」のクライマックスにおける「転換点」もこれだった。「本気の嘘を真実に変えてみろ」という言葉が、閉塞事態を劇的に打開する。

人間、逃げ道を作ったら必ず逃げるわ。リスクなんてヘッジせんでええ。
吉田潤喜・会社社長)

リスクをヘッジして、いちばん増えるもの。不安。

いれずみは人間の弱さの象徴。私は、入れてしまった人の側に立ちたい。
(小野友道・医学博士)

大阪市の職員に対する入れ墨禁止。弱さを認めぬ裸の王の弱さ。

死ねない存在が最後に見たいと語るのは、ただの死ではなく『一生を終える夢』。その台詞が美しく響くなら成功かな、と思います。
木皿泉

不死のドラキュラの若者をめぐる青春ストーリーという脚本を思いついたきっかけについての言葉。死があるから人生は美しいという古来からのテーマの現代的な表現。

デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ。
柄谷行人

震災と原発事故が起こるまで、この国は長らく「人がデモをしない社会」だった。あれ以来、確かに社会は変わった。

(事故原因は)人間のせいにすれば対策は安くなる。
(黒田勲)

なるほど。巷で「人為的ミス」が流行るわけだ。

「誰が社員食堂を運営してる?」といった質問がいかに脅威となるかわかっていない。
(クリス・ハドナギー/ハッカー対策コンサルタント)

そんなこと、ふつう思わないよ〜。すぐれたハッカーとは、心理学の達人でもある。

国益国益というが、やられたらやりかえすという人をこれ以上出さないことが、いちばんの国益、というか世界益だと思う。
(市原千尋

非難の応酬は急ぎ足でエスカレートの道をたどる。感謝の応酬は、次第に収束していくというのに。

花を切り、命を奪って始まるのが華道。たくさんの命が奪われた(東日本大震災の)直後には受け入れてもらえない。
(前野博紀・華道家)

命を奪わずに始まるものが、あるのだろうか。

語り部、伝え手を連れ去る歳月は、非情にして優しく、滴るばかりの悲しみをセピア色に染めてゆく。しかし私たちが時の癒やしに甘えては、平和を知らずに息絶えた人に顔向けできない。
(朝日新聞・天声人語12/8/15)

名文。

廃墟を内に取り込みながら

新しいものはすぐに「廃棄物」と化し、都市は「廃墟」を内に取り込みながら変転を繰り返すしかないのである。
田中貴子

しかしながら、内包する廃墟的な陰がなければ都市は無毒無臭で味気ないものになってしまうかもしれない。
開業したばかりのスカイツリーにしても、そこにどこか廃墟の予感のようなものを秘めているような気がする。

永遠の僕たち

「夕日が沈むと、死ぬと思いこんでいる鳥がいるの。だから、朝、目を覚ますと、嬉しくて美しい声で鳴くのよ」
ガス・ヴァン・サント監督『永遠の僕たち』 )

黒服で知らない他人の葬式に参列するというのが日課という高校生が主人公の、ぶっとび設定の映画。上の言葉は、余命三ヶ月の少女アナベルの台詞。