SM漬け

 眠れなかった。SMのことが、頭をぐるぐると巡っている。ひさびさに胸の疼きが止まらない。
 SM610。
 この疼きはなんなのか? 思いあたるものがある。


 XR600。ホンダのレーサーに保安部品をつけたオートバイク。(写真)
 キックスターターにゆっくり重心を乗せて踏み込むと、地響きとともにエンジンに火が入る。キックに失敗すれば、カタパルトのように体が空に飛ぶ恐怖と緊張。
 あとづけのメインスイッチは、オフにしてもレーサー600CC単気筒エンジンは脈動を止めない。こいつを止めるためには、ボタン式のキルスイッチで強制的に眠らせるしかない。
 強大な負圧にキャブのバルブが貼りつき、全閉からのスロットルの開けはじめは力任せになる。勢いでキャブが大きく開き、予定外の加速に腰がひける。微調整ができない。解決するためにバルブにローラーのついた大径のFCRキャブレターを入れたら、操作感がよくなったかわりに、とんでもないバイクになってしまった。
 かつての感触がまざまざと掌に蘇ってくる。
 ベースからストリートのSM610にそこまでを期待するつもりはない。しかし、往年は最大の単気筒オフ車として君臨したDR800を彷彿させる「快鳥」然とした外観をもつSM610は胸焦がれるものがある。
 しかし妻が、おかしなことを言いだした。
「XRって、キョーアクになる自分を抑えられないとか言って、封印したんでしょ」
「でも、タイトな峠でZZRに負けて手放したような記憶が・・」
「記憶の中で帳尻合せてるだけじゃないの」
 なんでも妻の話では、最後は沿道の子どもに耳を塞がれて、しかもそれがひとりやふたりじゃなくて数人が列になって耳を塞ぐものだから、すっかり良心の呵責にさいなまれて手放したそうだ。しかもそれがノーマルマフラーなので、手の打ちようがない。
 真相はどうであれ、とにかくあのときのことを思いだすだけで、右手に汗が滲む。


 早朝に一家で山岳用具を準備して箱根路(旧街道)に向かった。七曲りの起点となる畑宿からの旧街道ルートを芦ノ湖までたどるつもりだったが、激しい雨で引き返した。その足で店を開けたばかりのオートバイ屋に行った。
「商談中」の札のかかったAX-1は初期型(1988年式)で走行2万キロ。ちょうど20年前の車体だが、前のオーナーの深い愛情が伝わってくる一機だった。
 またがってエンジンをかける。アクセルを軽く煽ると、水冷のコツコツというメカニカルなノイズとともに吹けあがり、二十代のころの記憶が蘇ってきた。数十台の所有してきたオートバイクの中で、唯一、不本意な別れ方をせざるを得なかったのがこのAX-1だった。190kmしか乗らなかったZZR1400でさえ未練はない。距離ではなく、手放すときは必ず自分の中では折り合いがついている。が、走行500km、納車後一ヶ月もたたぬうちに盗難に遭ったAX-1への未練は消えることなく引きずっていた。
 もう一度、アクセルをあおる。鼻腔の奥がつんとした。
 こいつと折り合いをつけなければならない。20年経って、今がそのときなのだと思った。


 一週間もすればAX-1とトレイルな新生活スタイルが始まるだろう。それはある種の鎮魂だ。つまらない儀式を経なければ進めないのか。困ったものだ。
 SM610は程度の良い中古車が入ったら、すぐ連絡をしてほしいと伝えた。
 それとSM125の方は新車の見積書もつくってもらった。が、気になることを聞いた。
 外車125ccは日本国内では排ガス規制の問題で、販売ができない状況になりつつあるという。すでに取り扱いできない車種も出てきたそうだ。
 SM125も例外ではないだろう。とりあえず入荷できるか、現状の調査を依頼した。


 下の動画は、SM違いだが、KTM社の690SMのプロモーションビデオ。こんな悪ノリ映像をメーカーが堂々とつくって叩かれない。日本だったら、もう会長社長交替ぐらいのバッシングを浴びそうだ。おおらかというか寛容な欧州の文化の奥行きが、結果として魅力的なオートバイクを次々と生み出せる土壌となっているのかもしれない。